2015年

6月

28日

解説スライド@ぱすてる学習会『当事者と家族 —— 「もうちょっとうまいやり方」へ』

2015年6月28日の「ぱすてる学習会」で、導入のための話題提供をしました。 そのときに用いたスライドをPDFに加工し、サーバーに保存しました。

20150628 ぱすてる学習会 スライド ver3.pdf
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2014年

11月

23日

解説スライド@ぱすてる学習会:「当事者の世界」と「家族」

2014年11月23日の「ぱすてる学習会」で、私からの問題提起として、短いお話をしました。 そのときに用いたスライドをPDFに加工し、サーバーに保存しました。

20141123 ぱすてる学習会 矢野 スライド.pdf
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2011年

12月

28日

社会制度上の問題としての「先天色覚異常」

先天色覚異常に関する社会問題は、これまで、(1)障害観および遺伝観の再検討、(2)就職・進学・資格取得時などにおける機会的障壁の解消、(3)色彩情報の享受に際しての功利性の向上、という指向性の異なる当事者主張を伴って顕在化されてきました。 これらの当事者指向をとりまく近年の社会動向を俯瞰してみたいと思います。

 

(1)については、人権的配慮が用意される一方で、まだ、極めて現実的な評価が下される場面が多く残存しています。 (2)については、過去と比較すれば解消されてきているものの、事業者のリスク回避傾向は変わらず、特定職種の欠格条項は固定化したままにあります。 (1)(2)が大きな進展を見ないのに対し、(3)については、社会制度の急進が見られます。 (3)のみが進行する理由は、ビジネス分野において、功利主義が大きな説得力を持つためです。 平たく言えば、(1)(2)は当事者だけに限定されたマイナーな問題として扱われ、(3)は当事者以外の者にとってもオイシイ話、つまり「儲け話」として扱われている、ということです。

 

(2)(3)それぞれの指向においては、一見矛盾したような当事者言説が展開されています。 たとえば、(2)については、当事者の障害程度は軽微であるとの言説が付随するのに対し、(3)については、生活上の支障や困難が強調されています。 この傾向にある限り、(2)の主張は社会から軽んじられ、(3)の主張が社会的関心を集め続けることになります。 とはいえ、(2)(3)に関する制度改善は、遅かれ早かれ進行していくでしょう。 それに対して、最後に残される問題が(1)なのです。

 

これまでの(2)(3)に関する社会制度的展開において、当事者言説は乱暴に扱われ、個々の当事者の感情は無視されてきました。 特にマスメディアは、非常に無責任です。 (2)(3)に付随する当事者言説は単純明快かつ大胆なため、大きな問題として扱います。 一方、(1)に関する問題は、とても繊細で扱いが難しく、その上、地味で人目を引かない問題なので、マスメディアは扱おうとしないのです。 こうして、個々の当事者が抱えている障害観や遺伝観は、メチャクチャに切り刻まれてきたわけです。

 

しかし、一見矛盾したような言説が展開されてきた(2)(3)それぞれの当事者指向ですが、その根底において、感じていること・考えていることは一緒です。 それは、既存の障害観や遺伝観を見直して欲しい、つまり(1)と同じことなのです。 しかし、ほとんどの当事者は、(1)について、自身の抱えている問題をうまく語ることができません。 そこで、ある当事者が(1)の問題を語らずに(2)(3)だけを語ろうとし、それをマスメディアが拾う、という図式が生まれます。 こうして、特定の当事者の「語り」そのものが他の多くの当事者の感情や「世界観」を傷つける、という構造が形成されたのです。

 

以上は、先天色覚異常に固有の問題ではなく、当事者性を取り扱う多くの状況に共通するデリケートな問題であると言ってもよいかもしれません。 以上のことを理解できない人が、安易に当事者問題を語ることは許されないだろうと、私は考えています。

 

 

 

2011年

12月

27日

先天色覚異常に関する遺伝の6類型

大手ポータルサイトが運営するQ&Aサイトに、先天色覚異常の遺伝に関する誤った受け答えがたくさん掲載されていました。 というよりも、自然科学に即して正しく解説された(一般向けの)記述がネット上に見当たらなかったため、ここに書いておくことにしました。 以下に簡単な解説と図を載せておきます。

 

下図は、先天色覚異常の形質および因子の有無に関する、遺伝の類型を示したものです。 子を男女それぞれ2名ずつ記載したのは、形質および因子が遺伝する確率を表現するためです。 たとえば、親の形質および因子の構成が (2) や (4) だった場合、男児が先天色覚異常でない可能性は 50% 、先天色覚異常となる可能性も 50% となります。 (1) や (3) の場合は男児が先天色覚異常でない可能性が 100% となり、(5) や (6) の場合は男児が先天色覚異常となる可能性が 100% となります。

補足です。 遺伝を何世代繰り返しても、先天色覚異常の型と程度は変化しません。 たとえば、ある男性A氏が2型2色覚だったとしますと、A氏の後続の代 (たとえば孫)に先天色覚異常が発現する場合、同じ2型2色覚となります。 もし仮に、A氏の親族にA氏以外の先天色覚異常者がいないのにも拘らず後続の代に2型3色覚者が発現したなら、それは(A氏の因子に由来するものではなく)2型3色覚の因子をもった遺伝的保因者が存在するということを意味します。

以上、先天色覚異常に関する遺伝の法則を説明しましたが、これは当事者が自然科学と正面から向き合うときに必要な、非常に重要な知識となります。 その一方で、社会規範のあり方や、個人的な情緒・情動などと向き合うときに「役に立つ」知識ではありません。 ここが難しいところです。 いまはごく簡単にのみ述べます。 遺伝法則に関する知識はもちろん必要です。 けれども、だからといって「犯人探し」をするのはお勧めできません。 ある形質なり因子なりが 「親」から遺伝し、「子」へ遺伝するというのは事実です。 しかし、自然科学的な因果関係は、社会的な意味での価値(たとえば「身体」というものを個人所有される「資産」と考えるような場面での価値)を決定する因果とは異質なものです。 要するに、何か不都合なものが遺伝されたからといって「親」をはじめとする先代の人々を責めてはならない、ということです(逆に言えば、恵まれた素養を遺伝的に引き継いだからといって、特別に親に感謝する必要もないということになります)。

 

このことが理解できない人に、遺伝を語る資格はない、と私は考えています。 自然科学的知識を、価値判断なく振り回す者は、非常に愚かです。

 

 

 

2011年

11月

13日

先天色覚異常は、矯正できません。

またしても誤報道。 「色覚異常の人が本来の色通りに見える補正用メガネが ... 米国眼科学会で発表された」とのことですが、そんなメガネは絶対につくれません。 この記事の署名者は、元、朝日新聞社の編集委員で、科学報道の分野では非常に著名な方。 こんな初歩的な勘違いをされる方とは思えないのですが、一体どうなさったのでしょうか・・・・・・

 

(以下は 該当のニュースサイト からの引用です)

 

色覚補正メガネ、米国の学会で発表 初めての紹介に反響
2011年11月12日 17時00分 (2011年11月12日 17時35分 更新)

 

色の見え方が違う、いわゆる色覚異常の人が本来の色通りに見える補正用メガネが2011年10月23日、フロリダ州で開かれた米国眼科学会で発表された。北海道大学出身、ニューヨークで眼科を開業する新名貢 (しんみょう・みつぐ) 医師が、日本で販売されているメガネに着目、開発者の陳暁光・吉林大学名誉教授との共同研究の形でまとめた。

・8タイプ32種類のレンズ

このメガネは、株式会社ダルトン (大阪市西区、白井利明社長) が販売している「ダルトンメガネ」。自身も色覚異常がある中国の陳教授が1990年に開発し、中国企業が製造している。日本以上に色覚異常の人が多いとみ られる欧米では今回が初めての紹介だけに、大きな関心を集めた。色は赤、緑、青の三色から構成されるが、感受性に個人差があり、異常のある人の多くは赤の感度が弱く、緑が強い。開発段階から陳さんを支援してきた白井さんによると、レンズは金属微粒子を真空蒸着させ、三色の透過率を変えたもので、8タイプ32種類が用意されてい る。個々の感受性を検査し、赤、緑、青が均等になるようレンズを選ぶ。実際には12種類のレンズで98%の人がカバーできるという。当初のレンズは分厚 く、見え方も暗かったが、2005年から薄く明るい改良型になった。サングラスタイプで、正常だとどんな色に見えるかを確認する目的で用いる。中国では軍 隊専用で一般には販売されていない。日本では94年ごろから発売されている。雑貨品扱いで医療器具にはなっていない。(医療ジャーナリスト・田辺功)

参考 価格はレンズのみ両眼で70000円+消費税。枠は眼鏡店で選ぶ。問い合わせはダルトン0120-030-667

 

 

 

2011年

9月

11日

テレビ各局が使用色を統一するという愚行

某「巨大掲示板サイト」のニュース速報板に以下のスレッドが立っていたようです(いまは過去ログに収められていて読めません)。 ここにポストされた言葉を全体的に俯瞰してみますと、東京大学の某准教授とやらよりも、巨大掲示板サイトの住人の方がずっとマトモである、ということが読み取れると思います。 テレビ局のバカバカしい自画自賛報道から時間が経ったので、そろそろ書き込んでもよいだろうということで・・・

 

(以下 2011-10-29 追記)

某巨大掲示板の書き込みのほとんどがドギツイので、このポストに対する誤解が発生しているかもしれません。 お詫びを兼ねて、解説を付け加えておきます。

先天色覚異常者の色の見え方や感じ方は、現在の自然科学では、じつはまだわかっていません。 それどころか、ヒトという生きものの視覚それ自体が、ほとんど解明されていないのです。 つまり、「先天色覚異常者の色の見え方や感じ方は、実際のところよくわからない」としておくのが、現在の自然科学においては、もっとも妥当なのです。

津波警報の使用色彩を統一したことによって何が起きるかという問題を例にとって、具体的に説明しましょう。

まず、「人々はどのような色彩に対して『危険』や『安全』などの感情を想起する」か、という問題があります。 これについては、人文科学が一応つぎのような答を出しています。 ひとつの色彩に起因する感情はつねに両義的で、色彩そのものによって何らかの固定的な意味を表現することはできない、というものです(たとえば Blue は「安全」であると同時に「不安」でもあり、Red は「危険」であると同時に「安心」でもあります)。 したがって、色彩そのもので感情を想起させようとするのは間違いであり、制度(法制度から固定化され た生活習慣などの全般を指して「制度」と呼びます)に依存して色彩を決定するのが妥当な方法であろう、ということになります。 となりますと(もしどうしても使用色彩を統一しなければならないのであれば)日本においては、JIS安全色を参照するのが現時点ではおそらくもっとも正解に近いのです。 そして、JIS安全色では、「紫」は「放射能による危険」を意味します。 よって、この統一基準とされる津波警報の色彩で、もっとも危険度の高い色彩を「紫」 としたのは、重大な間違いであったということになります。

次に、「使用色彩を統一することが実際に可能か」という問題があります。 この問題にはふたつの側面があります。 ひとつは情報発信側の問題です。 このたびの報道では、地上波デジタル放送でのテレビ局が先行して「使用色彩を統一する」ことを発表したようです。 つまり、それ以外の画像による情報発信がどのようにして行われるかということを無視しているのです。 たとえばケーブルテレビなど色々な発信元があるわけですが、もっとも問題となるのは、気象庁HPでの使用色彩と大きく異なっているという点です(なお、気象庁の津波警報の使用色彩はJIS安全色に準じているため、社会通念に照らして常識的・標準的であり、現代日本では十分に妥当であるといえます)。 おそらくもっとも信用度の高い情報発信元といえるであろう、気象庁の使用色彩を無視し、テレビの世界だけの独自基準をつくろうとしたという行為は、非常に身勝手であり、重大な過失でもあります。 JISと気象庁に逆らってまで「まったく斬新な色彩」を決めつけ、それを強引に発信するにあたって、しかしその使用色彩には科学的な根拠がない。 情報発信をする側のモラルとしては、まったく社会性のない指向であるといえましょう。

続いて、「使用色彩を統一することが実際に可能か」という問題のもう一方、情報の受信側の側面についてです。 いま、みなさんはどのような「テレビジョン受像機」をお使いでしょうか。 その受像機は「正しい」発色を再現できているとお思いですか? 試しに家電販売店のテレビ売場に足を運んでみますと、何十台ものテレビが並び、それぞれがまちまちの発色をしていることが分かると思われます。 そのような、いわば「非統一な画像表示環境」にあって、放送局側が、情報発信における使用色彩の「統一」を実施すると一体どうなるでしょうか? 実際、「ある局で使用されている色彩が識別・弁別できないという状況においては、ほかの局に変えても判別ができない」という現象が発生することになるのです(これが差し迫った津波の警報画像であれば、まさに「致命的」な情報欠落となります)。 これはつまり、「放送局の勝手な都合を押しつけた結果、受信者から選択の余地を奪った」ということを意味するものです。 じつは、発信側の色彩が統一されていなかったときの方が、現実的には「マシ」だったわけです。

では、このたび報道された「統一」色彩は、どの程度の識別・弁別の困難を生じさせる可能性があるものなのでしょうか。 実際に見た人々の感想は、以下の「某巨大掲示板」の書き込みを見ていただければわかるでしょう(茶化したような書き込みがほとんどであるため、注目すべき発言にのみ、私が太字&斜体加工を施しておきます)。 津波警報が「かえって分かりにくくなった」という感想が出てきてしまうということについては、放送局が完全に間違った決断をしたと言うしかありません。 一体誰がどのような根拠で「統一」色彩を決めたのか、今後、責任が問われることになるでしょう。

いずれにしましても、当事者のことを何もわかっていない人々が、何らかの規格なり基準なりを決定しているという現実があります。 その背景には「自然科学を部分的に引用する」という構造的な問題が隠れています。 簡単に言いますと、「ある特定の人物にとって都合のよい部分だけ、自然科学の理論を借りる」ということです。 これは、たとえば「焼き魚ばっかり食べていると癌になる」といった言説と同じで、シロウトからすると科学的根拠がありそうに見えるものの、ほんとうは、自然科学の引用方法としては間違いなのです。

自然科学は、単独で「科学」なのではありません。 社会科学・人文科学の裏付けと総合されたとき、初めて「科学」になるのです。 先天色覚異常における現代的な問題でいえば、当事者の見え方をシミュレーションするというデジタル画像処理やゴーグル(サングラスのようなもの)の類いが、まさにこの問題を象徴しています。 これらの当事者シミュレーションツールは、自然科学を部分的に引用したのみで製作されたものです。 そのようなものをもって「これが当事者の見え方である」などと説明することは絶対にできませんし、断じて許されません。

学術的な場では、自然現象を単純化して語ることに意義がある場合もあり得るでしょう。 しかし、人間の視覚はビデオカメラのような単純なものではありません。 「使用色彩を統一すれば解決する」などという馬鹿げた発想は、ひとりひとりの人間の「生きている感覚」を知らないからこそ思いつく、いわば「ご都合主義科学」の産物なのです。 当事者の「生きている感覚」を単純化して語るという行為は、当事者の存在そのものを愚弄する行為でもあります。 この、津波警報画像の各局統一という現象は、つまるところ、テレビ視聴者のひとりひとりを「生身の人間」として扱っていないという、制作側の慢性的な鈍感体質を象徴するものなのだろうと、私は思います。

 

(以下は 某巨大掲示板サイト からの引用です)

 

【テレビ】「大津波警報は紫、津波警報は赤、津波注意報は黄色、陸地は灰色、海は濃い青」・・・テレビ各局が色合いを統一 色覚障害などに配慮

 

1 : 禿の月φ ★ : 2011/08/19(金) 06:29:28.14 ID:???P [1/1回発言]
津波警報や注意報を地図でテレビ画面に表示する際、局によって異なっていた色合いを統一することが決まった。色覚障害者に見分けがつきにくい色の組み合わせも使われ、改善が必要と指摘されていた。複数の局から相談を受けた色覚研究者の仲立ちで各局の協力が実現した。統一のきっかけになったのは昨年2月のチリ地震。1993年の北海道南西沖地震以来、17年ぶりに「大津波警報」が出された。「大津波警報」「津波警報」「注意報」が、赤、黄色、オレンジ、桃、白など局によってまちまちの配色で表示された。全国で長時間、津波速報の画面が放映され、色覚障害者からは「大津波と津波を見分けられない」などの指摘があった。国内には色覚に障害がある人が約320万人、水晶体が濁って色が見分けにくくなる白内障患者が約150万人と推定され、テレビ局も改善を検討していた。

日本テレビとNHKが、色のバリアフリー研究に取り組む東大の伊藤啓准教授(分子神経生物学)に相談。伊藤准教授が「どうせなら各局で統一しませんか」と呼びかけた。試作画面を色覚障害のある人に見てもらうなど約1年にわたって検討を重ねた。

最終的に「大津波警報は紫、津波警報は赤、津波注意報は黄色、背景の地図は灰色、海は濃い青を使う」という統一基準をつくった。3月11日に発生した東日本大震災には間に合わなかったが、
5~7月にかけて、主な在京放送局が新しい配色に移行した。系列局も順次導入を進めているという。

ソース:asahi.com(朝日新聞社)
http://www.asahi.com/showbiz/tv_radio/TKY201108180171.html
画像:津波速報の色づかいを新たにした速報システムのサンプル画面。大津波警報は紫、津波警報は赤、津波注意報は黄色で表示される。陸地は灰色、海は濃い青
http://www.asahi.com/showbiz/tv_radio/images/TKY201108180180.jpg

2 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 06:31:04.94 ID:qoV0dTc30 [1/1回発言]
M6.5でこんな大津波になんのかよw

3 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 06:32:19.38 ID:TgFuQsk90 [1/1回発言]
やっぱTV局ってバカなんだな

4 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 06:34:25.07 ID:RX8701Cn0 [1/1回発言]
これはいいんじゃね

5 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 06:43:48.39 ID:eVX9iGIN0 [1/1回発言]
番組録画してる人は手動で消せるようにしてほしい

6 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 06:44:04.09 ID:oukcFKDA0 [1/1回発言]
南京大虐殺は何色?

7 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 06:49:01.30 ID:JBiLB42d0 [1/1回発言]
レインボーは?

8 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 06:51:46.42 ID:mV/bSKQ60 [1/1回発言]
今までしていなかったことに驚愕

9 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 06:55:40.21 ID:N4NKpRyB0 [1/1回発言]
何で芸スポw

10 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 07:01:53.51 ID:LIAQuG990 [1/1回発言]
カルテルか…
足並みを揃えるといえば聞こえはいいが
やってる事は競争から逃げてるだけだな

11 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 07:08:03.47 ID:+Hrt1bom0 [1/1回発言]
こういうことするのもいいけどさぁ、
民放の地震直後の対応は最悪だったよ。
ウェザーニュースのほうがきちんと津波に対する注意喚起が出来てた。
民放はアナウンサーちゃんと育てないと。
キャーキャー騒ぎ、震度伝えるばかり。
それより早く逃げろということを伝えないと。
震度7から順番に伝えりゃいいってもんじゃない。
緊急警報が来た時も同じ。NHKの青山なんかも酷かったが。
女を使うな。緊急時は。まともなアナウンサー1人もいないんだから東京には。

12 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 07:10:38.45 ID:CkHScVUy0 [1/1回発言]
>>1
>5~7月にかけて、主な在京放送局が新しい配色に移行した。
ということはすでになっていたが一切告知も何もしてなかったと

13 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 07:35:53.97 ID:Gq8zGAHp0 [1/1回発言]
>>1-1000
それ以前にやるべきことがあるだろ
韓(ry 規せ(ry

14 : 忍法帖【Lv=28,xxxPT】 : 2011/08/19(金) 07:39:28.85 ID:JGpDkVY90 [1/2回発言]
えらくサイケになったな

15 : 忍法帖【Lv=28,xxxPT】 : 2011/08/19(金) 07:41:58.29 ID:JGpDkVY90 [2/2回発言]
色覚障害500万近く居るのか
おまえら生涯童貞より多数かも試練な

16 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 07:43:10.04 ID:4as8DGni0 [1/2回発言]
日本の領土を正確に表示した地図も統一して表示すると良い

17 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 07:44:39.63 ID:ggdwrhYaO [1/1回発言]
>>16
自分もそれ書こうと思った。
竹島表記を統一せよと

18 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 07:44:44.11 ID:iS37/maK0 [1/1回発言]
>>11
あの震災の時のNHKは青山の時だけひどかったね
他はエース級の男性アナばかりだったから余計に目立った

19 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 07:47:44.86 ID:iVR4WEaC0 [1/1回発言]
>大津波警報は紫、津波警報は赤
これは根本的に不適切な区分色の定義だぎゃ

20 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 07:51:27.34 ID:yq/EJf1u0 [1/1回発言]
>>18
青山は成りすましチョンだからね
奴らはほとんどがパニック症候群
冷静さなど絶対に期待できない屑中の屑

21 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 07:52:01.44 ID:gzj4lbCI0 [1/1回発言]
運動会のかけっこリボンみたいだ

22 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 07:59:13.85 ID:mphUTkUe0 [1/1回発言]
本気でヤバイ時はアナが叫びまくれ。
乱暴な口調でいいから今すぐ逃げろって言い続けろ。
それで事足りる。
それと超緊急時にのみ日本中のテレビが勝手に電源入って
番組がNHKに強制的に切り替わるとか、そういう隠しコマンドも有りだと思うw

23 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 07:59:46.12 ID:s/cO1Uxp0 [1/1回発言]
テレビなんて見ないから関係ない

24 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 08:04:00.98 ID:4as8DGni0 [2/2回発言]
>>22
つ 緊急警報放送

25 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 08:24:08.66 ID:w2eLOZZs0 [1/1回発言]
大津波警報は青になるのかと画像見ていたら紫だったのか。

26 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 08:30:26.46 ID:4ky/u4WJO [1/1回発言]
そもそも「大津波」という言葉の響きに危機感がないのが問題。
もっとヤバそうな名前にしなきゃ。
「超破壊流」とか

27 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 08:32:38.64 ID:N5Bte/4y0 [1/1回発言]
色だけで区別しようとするじゃなくて、補助的に模様も付ければいいと思うんだ…

28 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 08:41:51.30 ID:gPihzsehO [1/1回発言]
色分けするのもいいけど、太さでランクできないのかね?
津波警報は大津波の半分の太さのラインとか

29 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 09:04:07.78 ID:PCa+x91D0 [1/1回発言]
紫 赤 青
この辺が一緒に見える

30 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 09:06:00.95 ID:xBKyV3g60 [1/1回発言]
緑と赤とか色盲の人はサパーリなんだっけ
まあこういうのちゃんとやっていくのは大事だね

31 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 09:06:47.31 ID:/O9WtwsN0 [1/1回発言]
大津波とか発生するような地震じゃ送電がダメになってテレビも見られない可能性があるんじゃないか ラジオが重要だ

32 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 09:52:45.86 ID:mfh6z5/s0 [1/1回発言]
改善されたのなら障害があっても問題なく見えるんだろうが
紫が一番安全そうに見える

33 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 09:54:07.55 ID:uOA3Pcbp0 [1/1回発言]
>>31
ラジオはホント貴重。
電池が長持ちするし、ローカル局が地元の情報伝えてくれる。

34 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 09:56:08.32 ID:tK1OeculO [1/1回発言]
スロットの演出みたい 紫激熱 レインボー確定

35 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 09:58:08.22 ID:giyC+hcq0 [1/1回発言]
てかフジだかどっかのテレビ局おかしかったよな
大津波の色が津波警報より明らかに弱げな色だったところあった

36 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 09:59:51.37 ID:z8BOBOn30 [1/1回発言]
俺も色弱持ち
緑と赤が区別しにくい

37 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 10:00:19.00 ID:N1gakOtV0 [1/1回発言]
>>28
賛成。
横並びの信号は、識別出来るけど
最近、たまに一色だけの点滅信号とかあって泣きたくなる
停止線の有無で判断は出来るけど…

38 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 10:35:19.49 ID:YB3FLaKA0 [1/1回発言]
この前の大震災、即停電になったからラジオしか情報源ない家が多かった

39 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 10:59:58.22 ID:Df+X6esv0 [1/1回発言]
根本的に報道の仕方を考えるべきだ。
現状オオカミ少年になってるでしょ。
今回の大震災の多数の犠牲者の遠因に頻繁な警報の
慣習化があるでしょ。
反省せい!テレビ局!

40 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 11:35:30.82 ID:bM+6LBx30 [1/1回発言]
ワンセグも電池が一気に減るから下手にずっと見ない方がいいかも
やはりポケットラジオ最強だ

41 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 11:50:07.87 ID:SUM2qyyf0 [1/1回発言]
サンプル津波直撃だと日本終わるな、この状況だと

42 : 【東電 75.5 %】 : 2011/08/19(金) 12:21:41.10 ID:0xLqQMor0 [1/1回発言]
いちいち色分けするな
小学生か

43 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 12:29:55.89 ID:huifgiRCO [1/1回発言]
金枠は熱め、疑似3は激アツ、格納庫は当確

44 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 12:34:06.22 ID:r7l/1mkRO [1/1回発言]
色盲が悪い

45 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 12:38:51.00 ID:D6f2we5x0 [1/1回発言]
小笠原諸島がほとんど水没してね?w

46 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 12:39:37.46 ID:sqyqNo2dP [1/1回発言]
色もいいけど名称も変えないと
津波警報の上が大津波警報じゃわかりにくいよ
巨大津波警報に変えるべき

47 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 12:46:49.70 ID:Vx383svU0 [1/1回発言]
色盲の遺伝子って女性も持つけど、女性の場合は色盲にならないで、
男性だけが現れるんだっけ?

48 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 13:14:32.93 ID:l0fOt8wN0 [1/1回発言]
今までコレバラバラだったのか

49 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 14:25:25.94 ID:jYCWKZSQ0 [1/1回発言]
>>2
すべりが異常にゆっくりとした「津波地震」タイプの地震の場合、
たとえマグニチュード8.5を超える巨大地震であっても、
揺れが極端に小さくなって最大震度が3~4、
規模の解析も、速報段階でのマグニチュードが6.5~7.0程度と解析されてしまう可能性が大きい
実際の断層運動は巨大だから、当然それに見合った巨大な津波が押し寄せる
1677年の延宝房総地震や1605年の慶長東海南海地震は、
恐らくマグニチュード8.5を超えていただろうけど、非常に小さい揺れしかなく、
無警戒の状態で巨大津波に襲われた
断層運動の規模を正確に表すモーメントマグニチュードは、
巨大地震の場合は30分以上かかるものと思われる
実際、3月11日も、国内の広帯域地震計が振り切れてしまったために、
気象庁はニュージーランドの観測データを取り寄せて、モーメントマグニチュードを算出するのに、発生から54分もかかっている

50 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 14:39:16.55 ID:6slobO9r0 [1/1回発言]
さっそく

51 : 名無しさん@恐縮です : 2011/08/19(金) 15:19:20.78 ID:LBb65pe+0 [1/1回発言]
来たね
注意報のみで解除されたが

 

 

 

2011年

4月

28日

矢野喜正. 2011.「教科書編集を支える立場から - 失敗を認めない制度、間違いを許容する教育」

全国の学校の先生方に向けて発行されている定期刊行物『教室の窓』に、小論を寄稿しました。 現在、WEBで読めるようになっています。 ご興味ございましたら、下記のリンク先の資料をご覧ください。

 

教室の窓 - 中学校理科 - 2011年5月 - 臨時増刊号 - 平成24年度用新教科書特集教科書編集を支える立場から - 失敗を認めない制度、間違いを許容する教育」東京書籍

 

私がこのコラムで述べたかったのは、近年の「ユニバーサルデザイン」と呼ばれる社会動向が、その行き先を見失ってしまっているということです。 とくに、先天色覚異常の問題は、いわゆる「ユニバーサルデザイン」で解決できるほど簡単な問題ではありません。

以下別件。 「ユニバーサルデザイン」は、市場経済と抱き合わせになったとき、非常に大きな権力を手に入れます。 そこでは「困っている人がいるから改善せよ」という、キレイゴトが語られますが、それを裏付けるものは提示されません(あるいは、提示されているものが『美しい嘘』によって構築されています)。

 

そもそも「ユニバーサルデザイン」という思想は、市場経済と関わりのないところでは成立しないものなのかもしれません。 もしそうであるなら、「ユニバーサルデザイン」は、キレイゴトを使った押し売りである、ということになってしまうでしょう。

 

そうでないことを祈りながら、しかし怪しい「ユニバーサルデザイン」が巷に蔓延していることを、私は悲しく思っています。

 

 

 

 

 

 

 

2011年

1月

30日

先天色覚異常シミュレーションツールの宿命

けさの天声人語を読んで思う。マイノリティの闘うべき相手は、「世間の無知」と「想像力の欠如」なのだということを。

ここ数年ずっと気がかりなのは、先天色覚異常の「シミュレーション」ツールの存在。 PCソフトもあれば、サングラスのようなものもある。 こういったものが「世間の無知」や「想像力の欠如」を解消する手段となるなら、歓迎したい。

 

だが、私が気がかりなのは、その逆の方向に用いられている様子が見て取れるからだ。 たとえば、インターネット上の掲示板には頻繁に先天色覚異常の「シミュレーション」画像が貼付けられ、「色盲の見ている世界がキモイ」といった書き込みが繰り返されている。 先天色覚異常「シミュレーション」ツールの存在によって、かえって「世間の無知」や「想像力の欠如」が助長されていると言ってよいだろう。

 

こういった状況は歓迎できない。 どころか、先天色覚異常を抱える当事者の闘うべき相手である。 そしておそらく、先天色覚異常「シミュレーション」ツールの製作者たちにとっても、好ましくない状況であろうと思われる。 現状のままでは、先天色覚異常「シミュレーション」ツールは新たな障害カテゴリーを生み出す装置となるだけである。

 

先天色覚異常「シミュレーション」ツールが、「世間の無知」や「想像力の欠如」を解消する手段となるような道筋は立てられるのか。 これを早急に議論しなければならない。

 

 

 

2011年

1月

01日

2011年

2010年

12月

08日

(ひとりごと)

大学の先輩と会う機会があり、先輩2人と私との3人でお茶をした。

先輩Aが、こんなことを言い出した。「ちょっと学生にユニバーサルデザインってものを教えるハメになって、すこし勉強したんだけど、あれってなんかおかしいよね」

あ、やっぱりそう思うのか。 やっぱり、やっぱりねえ。

対して、先輩Bが言う。「あのさ、俺そのユニバーサルデザインっていうのが何なのかちゃんと理解できてないんだけどさ、美しいものを作る能力のない人間は創作の世界から出て行って欲しいよね」

あぁ、それを言うのか。 同感。 まったく同感。

「ユニバーサルデザインは『デザイン』じゃない、創作行為じゃないんだよ」
「創作に自信のない奴って、誰かからの承認が欲しいんだろうな」
「あれは要するにマーケット論でしょ」
「経済成長神話の延命措置みたいなものだと思うな」
「口先できれいごと言ってるけど、結局のところヘタクソな製品の言い訳に過ぎないんだよね」
  ・
  ・
  ・
といった会話が延々と続き、終電の時間になってしまった。

あらためて思う。 意匠制作は、専門教育(もちろん学校教育に限定されない)を受けてきた人間だけの、特殊技能。 デッサンもロクに描けない奴が首突っ込んで来て騒ぐなんてことが許される世界じゃないんだ。 どこかの誰かの知恵をちょろっと借りてきただけの、口先の「ユニバーサルデザイン論」なんか、こっちゃあ聞きたくもないね。 素人は黙ってろってなもんだ、まったく。

それにしても、正統な美術教育を受け、創作活動の難しさや苦しみを実体験として持っている人間とは、本当に話がしやすい。 といって美術エリートを気取るのもよくないが、そうは言ってもね、分かってない奴が多すぎる、実際。

そもそも分かる人にしか分からない「美」の世界を、素人にどうやって伝えるか。 そういったことが、創作を行う人間にも求められる時代になっちまったんだろう。 めんどくせえな。 しかし俺がやらなきゃ誰がやる、って感じかな、なんとなく。

 

 

 

2010年

12月

07日

バリアフリー・UDの行方について

きょう、某大学某学科で行ったレクチャーの録音を聞きながら帰宅。 ちょっと言葉が足りなかった。 反省。 以下、思考メモ。

いわゆる「ユニバーサルデザイン」というものが、今後どこへ向かうのかを考える。

バリアフリーを突き詰めていくと、諸制度は、人間の無自覚を許容する方向に進むと思われる。 となると、無自覚に日常を過してもよいということになる訳だが、果たして、本当にそれでよいのか。

人間が社会生活を営む以上、身の回りのすべての事柄について無自覚でいてよい筈はない。 無自覚が許容されるのは、何か特別な事情がある場合だけだろうと思われる。 その「特別な事情」に、すべての「障害」が含まれるとみるか、それとも「事情」の文脈を精査することになるか。 そこが分かれ目だ。 私は、文脈を抜きにしてバリアフリーはあり得ないと考える。 極端なことを言えば、「障害」よりも優先される事情は色々とあり得る。

各々の文脈を冷静に捉えられていないバリアフリーや「ユニバーサルデザイン」には、どこかに何かの「力」が加えられている可能性が大きい。 その「力」が公共性を害さないか、私はそのことが気がかりでいる。

 

 

 

2010年

12月

04日

日本が世界に誇る著作物、なのに・・・

産学協同を趣旨としたある団体のメーリングリストで、以下のサイトを紹介する声がありました。

http://ilabs.microsoft.com/Project/Pages/Project.aspx?ProjectId=5

 

メールをご送信なさったのは某企業の有名社員といったお立場の方です。 おそらく、ちょっと面白いソフトがあるから見てみて!といったお気楽な感覚で、とくに悪気はなかったと思います。


とりあえずいまは、このソフトの良し悪しを問わないことにします。 私が問題にしたいのは、ここに引用されている画像です。 これらは、日本発の世界標準、「Ishihara's Test」の画像を無断で使用したものです。

日本人は、ドラえもんなどが海外(主に中国)で無断借用されているのを見つけると、すぐ感情的になります。 では、同じ日本人による著作物である「Ishihara's Test」が海外(主に欧米)で無断借用されているのを見て、いかがでしょうか。

先述のメールを発信した某氏がお勤めされているのは、理化学研究所を母体として民間化された、超有名グローバル企業。 一定のモラルはお持ちになっている方だと思うのですが、おそらく何も感じなかったのですね、残念ながら。

 

 

 

 

2010年

11月

01日

色覚異常当事者に対する情報保証アプローチに関する考察

本日11月1日、国際ユニヴァーサルデザイン会議 2010 in はままつ にて、色覚異常当事者を対象とした情報保証(一般的な表記「情報保障」は誤訳なのではないかと私は考えています)のあり方を題材に、学会発表をしてまいりました。

私の発表は、既存の情報保証ビジネスの手法ないし営業のあり方を問う、「ユニバーサルデザイン」の担い手たちにとって耳の痛いはずの内容でした。 つまり、“国際ユニヴァーサルデザイン会議” としては場違いな内容でした。 にも拘らず、発表後には多くのデザイナーの方々からお声を掛けていただき、大きなご賛同をいただきました。 デザインの担い手たちだけでなく、障害当事者からも快いご反応をいただきました。

 

いま巷には、「カラーユニバーサルデザイン」「メディアユニバーサルデザイン」などという造語を用いた、色覚異常当事者をマーケットとして捉える新興ビジネスが展開しています。 その背景にある事情をご存じない方からしたら、何か社会に対して「よいこと」が起こっているように見えるかもしれません。

 

しかし、これらのビジネスには、非常に危険なトラップが潜んでいます。 そのことを私は伝えたくて、このたび学会発表に挑んだ訳です。 私の学会発表に多くのご賛同をいただけたということは、世の中も、そろそろ本質的なバリアフリーのあり方に気づき始めたということかもしれません。

 

ビジネス主導のバリアフリーには、重大な欠点があります。 このことが、いずれ大きな社会問題になることでしょう。

 

なお、この学会の予稿集はCD-ROMの形で学会開催中にだけ配布され、論文集はまだ発行されておりません。 論文集が出版されましたら、追ってこのブログでご報告いたします。

 

 

 

2010年

9月

26日

先天色覚異常当事者の言説にみる当事者の社会的位相とその運動の変遷

2010年9月26日、障害学会の発表原稿です。

出典:障害学会『障害学会・第7回(駒場)大会 資料集』(東京)2010

大会プログラムのホームページから発表資料をダウンロードすることができます。

私は矢野喜正(やのよしまさ)と申します。 色覚異常の当事者団体の運営をしております。また、千葉大の大学院で制度研究をしております。 きょうの報告テーマは「先天色覚異常当事者の言説にみる当事者の社会的位相とその運動の変遷」です。 どうぞよろしくお願いいたします。

これより報告を始めます。 研究動機、当事者問題の歴史的変遷、当事者問題の行方、の順にご説明いたします。

まず、研究動機です。

はじめに、眼科学の基礎的な事柄について説明いたします。

色覚についての医学的な分類です。 人間の色覚は正常色覚と色覚異常に分かれ、色覚異常は先天と後天に分かれます。 そして先天色覚異常は、1色覚、2色覚、異常3色覚のみっつに分かれます。 昔の診断名では、それぞれ、全色盲、色盲、色弱と呼ばれていました。

医学では、先天色覚異常の形質を持った人のことを「先天色覚異常者」と呼びます。 一方、きょう用います「先天色覚異常当事者」という言葉は、先天色覚異常にまつわる諸問題の当事者を指しています。 この中には、先天色覚異常でない人々、たとえば遺伝的保因者なども含まれる可能性があるということです。

なお、当事者の中には「異常」という表現を好まない人が多いようです。 躊躇はありますけれども、きょうは学術的に正確な表現をということで、医学用語を使わせていただきます。

先天色覚異常は遺伝的要因によって発現する形質で、日本での発現頻度は、男性の4.50%、女性の0.156%です。 そのうちおよそ6割が異常3色覚者で、4割が2色覚者です。 1色覚者について確定的なデータはありませんが、1万人から5万人に一人程度であろうと言われています。 また、遺伝的保因者は女性のおよそ9%と推定されています。 したがいまして、先天色覚異常者が約290万人、遺伝的保因者が580万人と推計されます。

このように多くの当事者が存在するにもかかわらず、これまで、先天色覚異常にまつわる社会問題が大きく扱われることはありませんでした。 しかし、近年になって、いわゆるユニバーサルデザインと呼ばれる事業に積極的に関わろうとする当事者が現れ、マスメディアに取り上げられる機会も多くなり、状況が変わりつつあります。

私の研究動機はこの文脈の読解にあります。 そして今後、当事者をめぐる諸問題はどのような方向に向かうのか、もし軌道修正が必要であるならば、当事者らはどのような方向を見据えるべきなのかを考察します。 そして本報告が、現代の日本社会における「障害」ないし「障害者」を読解するための素材の一部となることを希望するものです。 みなさまのご研究との差異を相対的に捉えながらお聞きいただければと存じます。

続いて、当事者問題の歴史的変遷です。

先天色覚異常にまつわる社会問題が、近年になるまで大きく取り上げられなかった理由には、おもに、次の4点が考えられます。

1)先天色覚異常は感覚器の比較的軽度な先天的インペアメントであるため、色覚検査を受けない限り、周囲からの指摘がほとんどありません。 ですので、インペアメントの自覚を持ちにくいという特徴があります。

2)色彩の扱いについていくらか経験を積みますと、困難に直面する機会がかなり減ります。 したがいまして、状況に適応する努力を行えば、個々の当事者にとっては大きな問題でなくなるという側面があります。 たとえば私は2色覚者ですが、美術大学を出て、デザインの仕事をしています。 まったく自慢できることではありませんけれども、それなりの状況適応が可能だということの証明にはなろうかと思います。

3)現在においても、就職や資格取得などに欠格条項が設けられ、当事者たちは不利益を実感しています。 そのために、インペアメントを隠し、不利を回避しようとする傾向があります。 実際のところ、インペアメントが外見に現れないため、慎重に生活していれば周囲に気づかれることはありません。 こういったことが、問題の存在そのものを隠蔽することに繋がっていったと考えられます。

4)日本には、遺伝に対して潔癖すぎるとも言える、感情的な傾向があるようです。 遺伝的保因者は、世間から誤解を受け、婚姻や出産などの際に大きな緊張を強いられ、精神的苦痛を実感してきました。 そうした苦痛を少しでも和らげたいと願う自然な感情がはたらいて、問題の意識的な忘却が行われたという側面があります。

この中で、とくに難しいのが4つ目の問題であろうと、私は考えます。 この遺伝の問題は、当事者の位相を読み解くにあたって、忘れてはならない視点であろうと思います。

以上のような背景がありつつも、先ほど述べましたように、近年になりまして、社会状況が転換を迎えています。 続いて、歴史的経緯を大まかに追うことといたします。

19世紀後半に、ヨーロッパ各地で、乗務員の色覚異常が原因であろうと考えられる列車や船舶の事故が重なります。 それを契機に、各国で乗務員の色覚検査が規定されていき、日本でも1879年から、鉄道員と船員を対象とした色覚検査が始められました。 日露戦争後には、陸軍、海軍ともに、色覚異常者の採用制限を始めます。 このようにして、近代日本においては、特定の職種の人材選定を目的として、スクリーニングが制度化されていきました。 当時の記録には、当事者の悲嘆の声が残っています。 戦争で活躍できないということにアイデンティティの喪失を感じたのだと考えられます。

昭和初期より、効果のない「治療法」がいくつも生み出されては消えていきました。 アジア太平洋戦争敗戦後、さらに怪しい「治療法」の発明が活発になります。 たとえば、1960年代には、こめかみに電気刺激をあてることによって色覚異常が「治る」と騙った高額な装置が売り出され、それを購入してしまう当事者が続出し、大問題となりました。 また、同様の原理を用いた「クリニック」が各地に開設され、90年代前半頃まで、詐欺行為が続いていました。 現在でも、「治療」を騙った鍼灸院がわずかに報告されていますし、色覚異常が「矯正できる」と騙ったメガネが高額で販売されています。 こういった詐欺行為の効果がクリニックや、あるいは装置やメガネの製造元らによって検証される際には、「治った」と訴える当事者の声が意図的に引用されるわけですが、そういった主観的な言説が多くの眼科医から疑われ、当事者の言葉は信用を失っていくこととなりました。

そのような状況にあって、「治療」「矯正」の真贋を見極めようと、医学に寄り添う決心を固めた当事者たちが現れます。 この当事者たちは、80年代から組織化を始め、眼科医らの援護を受けて、社会適応の方策を探り始めました。 しかし、運動体としての性格は強くなく、当事者のアイデンティティの構築を共同作業として行う、といった様相をもっています。

追って90年代から目立ちはじめた当事者の主張は、進学、就職、資格取得などの機会制限に対する異議申し立てでした。 この当事者らは団体を組織し、運動を始めますが、その論拠は、先天色覚異常者自身による「日常生活に不便を感じていない」という言説にありました。 この運動は、一定の成果を出しつつも、迷走を始めます。 色覚にまつわる制度のすべてを「差別」であるとして世に訴えはじめるわけですが、その矛先は医学に対しても向けられ、たとえば「色覚異常という言葉を使ってはならない」、「色覚異常という診断を下してはならない」、「精度の高い検査器具を使用してはならない」、「色覚検査そのものをこの世からなくすべきである」などと訴える当事者が現れました。 これを受けて眼科学は、「日常に不便を感じていない」という主張を疑い、当事者に対する信用度を下げていきました。

2000年以降になりますと、反対に、「日常的に困難を感じる」と語って、先天色覚異常者を福祉サービスの対象として取り入れるよう要求する当事者が現れました。 いわゆるユニバーサルデザインと呼ばれる動向への相乗りを狙ったものです。 この運動を率いる当事者らは、社会状況の転換を待ち切れず、自らソーシャルビジネスをはじめます。 そうなりますと、営利を求める都合から、どうしても、インペアメントを誇張して語る傾向になっていきます。 また、営業成果の顕在化を図るため、独自の造語の使用を営業先に要求し、認証マークの添付なども要求し始めました。 この運動での、インペアメントの誇張と医学用語の否定は、眼科医の側にあった不信感をさらに募らせることとなりました。

いま述べましたような経緯をふまえ、当事者運動の位相の整理を試みます。 私は、当事者運動の類型を、時代的経緯に合わせて、みっつに分類しました。 社会適応型、欠格条項撤廃要求型、情報保証訴求型です。 余談ですが、私は情報保証のショウの字を「ゴンベンに正しい」の「証」の字にしています。 情報保証は Information Assurance の翻訳語ですので、そうした方が相応しいと考えるためです。 話を戻しまして、以下に、それぞれの類型の特徴を述べます。

社会適応型運動の当事者属性は、先天色覚異常者、遺伝的保因者、その家族です。 医学的思考を基本に据えつつ、客観的な自己認識を試みようとしています。 あまりインペアメントを顕示しようとはせず、制度要求もそれほど激しくはありません。 色覚検査や欠格条項に対しては、科学的根拠がはっきりしている場合に限って、容認の態度をとるケースがあります。 営利性は低く、旧来のいわゆるボランティア活動の姿に近いものがあります。

欠格条項撤廃要求型運動の当事者属性は、先天色覚異常者に限定されており、中でも、比較的軽度のインペアメントをもつ者が多いようです。 医学的思考に対する抵抗感は大きく、インペアメントの自覚や顕示性は低いように見受けられます。 制度要求は欠格条項の問題に集約され、色覚検査は欠格条項存続の手段とみなして、実施反対の態度をとっています。 行動力があり、いわゆる一点突破型運動と呼ばれるものに近い様子があります。

情報保証訴求型運動の当事者属性も先天色覚異常者に限定されていますが、比較的強度のインペアメントをもつ者が多いようです。 このタイプの運動にまつわる言説を拾いますと、一見、合理的思考を持っているようにも見えるのですが、医学用語を一切認めないといったことなどから、医学的思考に対する抵抗感が大きいことが読み取れます。 また、インペアメントの顕示性は非常に高いのですが、誇張が見られるため、自覚の程度はよくわかりません。 制度要求は情報保証の問題に集約され、非常に行動力があります。 営利性がとても強く、新自由主義的な指向をもっているようにも見受けられます。

以上のように類型化した上で、相違点の整理を試み、今後の当事者問題の行方を考察してみたいと思います。

いま述べましたみっつの類型は、それぞれに矛盾点はありますけれども、当事者自身の視点からみれば、身体感覚と感情の置き場所を重ね合わせようという点で一致しています。 先ほど、インペアメントの自覚が難しいというところに問題の特徴があると述べました通り、当事者の抱える感情や意識は、身体感覚と分離した状態が出発点となっているわけです。 そこで、肉体と精神を、分離された状態から統合された状態へとシフトしたいという動機が共有されているようにみえます。

そこで、肉体と精神を統合させようというときに何を指向するかという点で、当事者運動の方向性が分かれていきます。 中でも、欠格条項タイプと情報保証タイプの主張は、明らかに矛盾しています。 欠格条項タイプは「生活上の不都合はない」と言い、情報保証タイプは「生活上の不便が多い」と言うわけです。 両者とも、身体感覚の個人差や、当事者の多様性についてはあまり触れず、主観的な身体感覚だけを拠り所にして語ろうとする傾向がみえます。 もっとも、主観的に捉えなければやっていけないほど、当事者が苦痛を感じているのだと考えることもできます。

このようにして、欠格条項タイプや情報保証タイプの当事者は、医学的な思考を受け容れられないまま運動を続けてきました。 それぞれの立場に立って言えば、眼科学は当事者の役に立たない学問であるということになるでしょう。 しかし私は、当事者と医学が良好な関係を構築した方がよいのではないかと考えます。 このことが、今後の課題のひとつになると思います。

しかし、当事者が医学を学べばよいという話では終わりません。 医学が当事者の方向を向いていないという問題が残っています。 これについて、社会適応タイプの当事者は、たとえば、眼科学会などの場に出て、医学の側に対して当事者像の修正を求めつつ、自身のインペアメントと向き合おうとしていますし、眼科医たちも当事者の意見に耳を傾けようという努力を始めています。 このように、当事者と医学とが対話を続けていくことが今後ますます重要になっていくであろうと思います。

最後にもうひとつ課題を挙げます。 これまで、欠格条項タイプや情報保証タイプの運動は、遺伝的保因者の立場を念頭においてきた様子があまりありません。 たとえば、情報保証タイプの運動では、私企業に対して、商品に「認証マーク」を貼るよう求めているわけですが、この「認証マーク」を遺伝的保因者たちが目にして、大きく傷ついているという実態があります。 また、お舅さんやお姑さんがお嫁さんを罵る、ですとか、先天色覚異常者が遺伝的保因者である親を恨む、ほとんどの場合は息子が母親を、ということになりますが、そういった肉親に対する怨恨が当事者の言説に現れ、この問題を一層深刻にする要因となってきました。 こういったことから、当事者の枠組みを確認し直す必要があるのではないかと私は考えます。 遺伝的保因者たちは、家庭内で孤立し、日々不安を抱えながら暮らしています。 このことを大きな社会問題であると捉え、当事者の全体像を再構築することが重要な課題になろうと考えております。

以上で報告を終わります。ご清聴どうもありがとうございました。

 

 

 

 

2010年

9月

19日

ぱすてる学習会のお知らせ

9月19日(日)に、都内で「ぱすてる学習会」が開かれます。詳細やお問い合わせにつきましてはこちらをご覧ください。どうぞよろしくお願いいたします。

2010年

8月

27日

いわゆる「色覚異常シミュレーション」の罪

私は、ネット上の魑魅魍魎にはまったく興味がありません。けれども、風評資料の一種として、色覚異常に関するいくつかの言葉を自動検索アラートに設定し、一応収集しています。そこに、2ちゃんねるの某スレッドが引っかかっていました。それは、いわゆる「先天色覚異常のシミュレーション」と呼ばれる画像を見て嘲笑うスレッドでした。ニュース速報板なので、現在はもうそのスレッドはありません。

先天色覚異常のシミュレーション画像をつくろうとした研究者の中に、KS 先生という、電子工学で著名な方がいらっしゃいます。模擬実験を始められたのが1970年代といいますから、おそらく、日本では最も古い時期にこのジャンルの研究に着手された方だと思います。深見嘉一郎先生と親しく、共同でご研究をなさっていたこともありました。

KS 先生は、もちろん、視覚にまつわるシミュレーション画像というものには人間の「知覚」が反映されていないということを十分にご理解された上でご研究をなさっていました。その先生が、あるときを境に、画像を一般に公開しないようになります。当時はまだ、インターネットどころか、パーソナルコンピュータも普及してない時代でしたから、学会内で慎重に気を使いつつ発表している限り、画像が公に流出することはありませんでした。

KS 先生がシミュレーション画像を公開されなくなったのは、画像が誤解を呼ぶ可能性が大きいと判断したためです。そしてその誤解によって、多くの当事者たちが傷つくということをご心配されたためです。もちろん当事者とは、先天色覚異常を抱える者だけでなく、その近親者など関係する人々のすべてです。KS 先生は、多くの人を傷つけるであろうことをお気づきになり、研究成果の公表を自重されたのでした。

インターネットが普及し、Vischeckなどの簡易なツールが公開されるようになり、KS 先生のご憂慮は現実のものとなってしまいました。そうした状況で、先述したような2ちゃんねるのスレッドが発生した訳です。

Vischeckに限らず、Photoshopのプラグインや、バリアントールという名のメガネなど、先天色覚異常のシミュレーションを実現したと広告宣伝しているツールが、実際に出回っています。しかしこれらは、人間の知覚を反映したものではなく、シミュレーションとしては不完全なものです。こういったものを自信ありげに広告することは、絶対に慎むべきです。さらに、このようなものによって誤解が広まることは、絶対に避けなければなりません。

こういった、一般の人々に偏見を与えるツールは、当事者に対する不当な評価を植え付ける要因となります。仮にツールの開発者が「善意」をもっていたとしても、結果的には「差別」の誘因となってしまいます。

 

シミュレーション技術への称賛は、当事者に対する人権侵害と一対になっています。このことを冷静に考える必要があると、私は思います。

 

2010年

8月

22日

廃止が続く各地の駐車場案内情報について

正確に統計を取ったわけではないが、全国各地の駐車場案内の情報板は、たいてい、カラーLEDで作られているように思う。これらの廃止・撤去が、各地で進められているようだ。たいした問題ではないと思うが、ちょっと興味があったので記事を拾ってみた。

駐車場案内板:高槻市、廃止検討 導入から10年、必要性の低下で /大阪
8月22日14時28分
毎日新聞
高槻市中心部の主要道路沿いに整備されている駐車場案内板が、廃止となりそうだ。駐車待ち行列や駐車場を探して回る車を減らそうと導入したが、10年以上を経てカーナビが普及、コインパーキングも増加するなどして必要性が低下してきたという。更新期を迎えたのを機に、市と関係団体などで存否を検討。今年4月から休止して市民らの反応をみているが、問い合わせは電話での1件にとどまっている。地図式のブロック案内板(縦横各3メートル)と文字式の個別案内板(縦2・6メートル、横1・4メートル)。ブロックは国道2カ所▽府道4カ所▽市道1カ所、個別は府道3カ所▽市道7カ所に設け、11の駐車場の「満車」「空車」や場所を色や文字、矢印で表示し98年4月にスタートした。道路管理者の国、府、市が各基数分を負担し、事業費は市と府で約3億円。市が管理してきた。導入10年が近づき更新を検討したところ、ブロック案内板の地図を描き直すためには全面交換が必要だった。また、06年12月に実施した市民アンケートでは、案内板を「参考にする」が回答者の36・9%、「参考にしない」が53%だった。市は09年度、国、府、駐車場運営者、高槻署とで存続についての検討会を設けた。協議の結果、アンケートでの市民の意見が判然としないなどの理由で、当面休止して様子をみることに。今年3月の市の広報紙で告知し、4月から休止した。5月末には「休止中」と書いた幕を全案内板に掲示。市交通安全課は「問い合わせにどう説明するか身構えていた」というが、今月20日現在、市側に寄せられたのは、苦情ともとれない電話での1件だけだという。今月下旬に検討会を予定する。同課は「高槻は観光都市でもなく、更新して存続するほどの費用対効果があるとはいえない。休止に対する市民の反応状況などを説明し、できれば廃止の方向で決めたい」としている。【八重樫裕一】

ああ10億円…長野市、駐車場案内板撤去
2010年6月9日23時41分
読売新聞
長野市が設置した「駐車場案内システム」の運用が昨年末で終わり、撤去作業が進められている。有効性への疑問符がつき、認知度も高まらないままに終わった、この事業に10億円以上の税金が投入された。長野市は1997年、駐車場を探す観光客の車で、市中心部が渋滞するのを避けるため、国の補助も合わせ約8億1000万円をかけてシステムを整備。中心部の国道上などに、駐車場の空き情報を知らせる案内板24基を設置した。市交通政策課は、97年の善光寺御開帳や98年の長野冬季五輪では、駐車場待ちの車が減少し、「当初は一定の効果があった」と分析する。だが、その後は、不況の影響などで、市中心部の更地が増え、それに伴って時間貸し駐車場も増加。97年には約40か所(約4600台分)だったのが、昨年は約100か所(約7200台分)にまで増え、駐車場待ちも減った。システムの存在は、市民の間にも、あまり浸透しなかった。05年に市が行ったアンケートでは、「利用したことがある」市民は約29%、「有効」とした市民は約22%に過ぎなかった。同じ年に、システムに参加する駐車場の経営者を対象に行ったアンケートでも、「システムに参加して利用者が増えた」は0%で、「今後も必要」としたのは約38%にとどまった。さらに、年7万2000円~9万6000円かかる管理運営負担金を嫌い、97年度に24か所あった参加駐車場も、09年度には13か所にまで減った。案内板などの設備が老朽化し、部品製造が中止されたこともあり、市は09年末でシステムの運用を終えることを決定。昨年度から今年度にかけて、約2000万円かけて撤去作業を行っている。これまでにかかった維持管理費は計約2億4000万円。市都市計画課は「設置当時は役立ったが、パソコンや携帯電話、ナビなどで駐車場情報が取れるようになった。時代の流れに取り残された」としている。国土交通省街路交通施設課によると、国はこれまで、建設費の3分の1を補助して、約80都市で同システムの整備を支援してきた。だが、少なくとも十数か所の都市で、同システムはすでに廃止。地方行政に詳しい信州大経済学部の沼尾史久教授は「納税者からすれば、本当に有効かどうかの見通しがきかないまま事業を進めるのは困る」と話している。(写真)まだ残っている駐車場案内システム。情報はもう表示されていない(長野市の長野大通りで)

高松市中心部の駐車場空き情報案内板廃止へ
2009/01/29 09:36
四国新聞社
香川県高松市中心部の幹線道路上部に設置され、主な駐車場の空き情報を電光掲示する案内板システムが廃止されることになった。修繕のために部品を特注する必要があるほか、案内対象に入っていないコインパーキングが増加するなど、採算が合わなくなったため。月内に電気・通信回線を廃止、案内板自体は撤去も含めて国、香川県、高松市で検討する。案内板は市街地全体の大まかな状況を知らせる「ブロック案内板」が7基、市役所周辺などエリアを分けた「補助ブロック案内板」が2基、駐車場ごとの状況が分かる「個別案内板」が29基の計38基を国、香川県、高松市が約6億円かけて1994年に設置した。案内対象は30台以上の駐車場で、民間を含む計39カ所の約4300台。個別の案内板では、満車の場合は駐車場名の右側に「満」、すいている場合は緑色の矢印、混雑している場合はオレンジ色の矢印で電光表示し、利用者に知らせてきた。システムは市中央公園地下駐車場の管理局で集中制御し、年間の維持管理費は約500万円。しかし、14年が経過して老朽化が進み、38基のうち16基で表示が出ないなどの故障を抱えている。修理しようにも部品の多くが汎用性がなく、すべてを修理する場合は特注で約9000万円が必要という。近年は安いコインパーキングの普及で利用者のニーズが低下し、掲示している駐車場の大半で空車が目立つ状況。同様のシステムを導入している全国の他都市で廃止が進んでいることもあり、廃止を決めた。

 

2010年

8月

19日

言い得て妙

1コマ目
母 「異常気象やな。」
息子「そんなに異常なのかな。」

2コマ目
息子「おばあさん、どう? 昔はこんなことはなかった?」

3コマ目
祖母「ああ 昔はこんなことはなかったな。」
息子「へー やっぱり異常なんだ。」

4コマ目
祖母「昔はこの程度のことで異常異常ゆうて騒がんかったな アホちゃうかぁ」
息子「昔からこうだったの。」
母 「まぁ」

いしいひさいち「ののちゃん」(4650) 2010年8月19日 朝日新聞

 

2010年

8月

16日

「色覚障害」という言葉

【質問】 現在「色盲」という言葉は使われず、「色覚障害」が使われると思っていました。しかし『介護職員基礎研修』のテキストには「色盲」という言葉が使われていました。私の認識違いでしょうか?(Yahoo知恵袋より)

【回答】 「色盲」は旧来の医学用語で、現在は「2色覚」と呼びます。詳しくは日本医学会 色覚関連用語一覧を参照してください。

また、医学的な文脈での「色覚障害」とは、「色覚が障害されている」という意味の表現です。この表現は先天色覚異常と後天色覚異常の両方に対して使われますので、「色盲」の代わりの言葉として使うことはできません。

 

なお、「2色覚」に対して「色盲」を使うことは、古い表現というだけのことであって、学術的に間違った用語法ではありません。ただ、「色盲」という言葉は、学術用語の意味から離れ、一般に慣用されている言葉でもあります。そうなりますと、学術的な意味での「色盲」と慣用表現での「色盲」を区別するためには、文脈を正確に読み込む必要があるでしょう。この面倒を避けるためには、やはり、現行の学術用語である「2色覚」を用いるべきだと思います。

2010年

8月

12日

人工の生物 --- 論点拾う対話を急ぎたい

「人工の生物/論点拾う対話を急ぎたい」

尾関章(おぜきあきら/編集委員)

人工生物に限りなく近い細菌をつくった、と米国の民間研究所のチームが発表したのは約3カ月前のことだ。このニュースをめぐって、もう少し議論があってよいと思うのだが、それほどの広がりを見せていない。

DNAの断片を合成してつなげ、生命体一つ分のゲノム(全遺伝情報)をつくる。これを、器となる細菌に入れ、もともとあったゲノムの代わりに働かせて増殖させたというのだ。

チームを率いるのは、クレイグ・ベンター博士。人のゲノムの解読で、公的な研究陣営と激しく競い合ったベンチャー界の大立者だ。自伝「ヒトゲノムを解読した男」(野中香方子訳、化学同人)で、ゲノムの次は生物の合成だと宣言していた。

人工生物は、最近盛んになった合成生物学の究極の産物といえる。それは薬づくりや環境、エネルギー問題の解決などに役立つかもしれない。たとえば、燃料を生産する生物などだ。

だが、倫理、安全面では遺伝子組み換えと同様、懸念材料がある。兵器に使われないか。健康を脅かさないか。生態系を損なわないか。進めるにしてもブレーキを踏みながらだろう。

それだけではない。生物を一から組み立てるというのは、すでにある生物に取り込みたい遺伝子を入れる組み換えとは次元が異なる。問題も奥深い。

ベンター流は、その組み立ての第一歩として、生命の存続に必要な最小の遺伝子セットを探そうとしている。あとは目的に応じていろいろつけ加えよう、という戦略だ。

「そこには、生物は進化の中で不要なものまで抱え込んできたという生命観がある。川の蛇行をまっすぐにするように、生物のしくみも人に都合よく単純にできるという考え方だ」と東京大学先端科学技術研究センター特任教授の米本昌平さん(科学論)は言う。

この生命観は、自然科学にとどまらず人文系の世界にも衝撃を与え、論争を呼ぶだろう。

注目すべきは、ベンター博士らが、こうした根源的な生命探求を自分たちの手でやってのけようとしていることだ。実用の枝葉を広げる化学の根っこを、特許などを通じて一民間チームが押さえるという未来図も見えてくる。基本ソフトの開発企業がIT社会で巨大な力をもつのと似た状況が現れないか。知的財産権論議の火種もはらむ。

英国では6月、関連分野の研究予算の配分を担う公的機関が「合成生物学対話」と題する報告書をまとめた。討論集会や専門家からの意見聴取をもとに、この研究に対する期待と心配をあぶり出したもので、科学者の知的情熱から企業の投資意欲まで幅広く俎上に載せている。

新登場の研究をまえに最初から推進派と反対派に分かれるのではなく、まずは論点を拾い尽くす。そこから適切な向き合い方を探る。そんな科学対話が日本でも急がれてはいまいか。

 

(朝日新聞 2010年8月12日 朝刊10面「記者有論」欄)

 

2010年

8月

09日

貝になりたい

新聞によると、今度は楽天も英語を社内公用語をにするんだとか。

同様の改革案は、日産やユニクロなんかも先行発表してる。でもそれは、書類を英語化しようとか、非日本人が出席している会議では英語を使おうなんていう話。

楽天はちと違う。日常業務の全てにおいて、とにかく英語しか使わないんだと。

でもそれって要するにリストラ案でしょ? こんな不条理な規則に従う社員なんているのかね。どんな雇用契約してるんだ、楽天は。組合ないのか? いや、そもそも三木谷信者しか社員になれないのか。

もっとも、英語導入にメリットはある。日本語のロジックを使っていては説明できないようなことが、英語によって可能になるかもしれない。言葉が変われば、日本特有の上下関係とか団体主義なんかを解体する動機になるかもしれん。

ともあれ、人には「建前と本音」の両方が必要なんだ。社内公用語を英語にすると、その反動で、ホンネが日本語でどばっと出てくることになるんじゃないのかな。

で、この規則を逆手にとると面白いかも。噂話は日本語で。上司に文句言いたいときも日本語で。

あー、まずいな。勤務中twitterばっかやってそう (w

 

2010年

8月

07日

打ち上げ花火

私は打ち上げ花火が好きだ。きょうは地元の市民花火大会。でも行かない。忙しいのと、ここんとこ疲れてて人ごみがあまり好きでないのと。しかし、どうやら大学の研究室から見えそうだ。早く論文書かないといけないんだけど、あとでちょっとだけ見てしまうかもしれない。

きょうは江戸川区・市川市共催の花火大会も予定されてたはず。これは、打ち上げ量で言えば関東最大規模なのだそうだ。っていってもどうやって数えているのか分からない。花火の玉の数なのだろうか。報道は公式発表通りなのだろうが、多少は水増しされてても観客には分からない。ま、そんなもんなんだろうけど、税金使ってるんだからちゃんとやれよな。

 

さて、私は先天色覚異常だが、たしかに花火の色彩はあまり見分けがついてない。すごく大雑把な印象で言うと、黄色系と青系と白っていう感じ。だけど奇麗だと思うよ、本当に。

 

もっとも、打ち上げ花火の楽しさは炎色反応だけじゃない。音と、空気の振動と、火薬の匂いと、あと、時折空からパラパラって降ってくる火薬の燃えカスなんかも魅力のひとつだ。

 

アジア太平洋戦争に敗戦した後の数年間、日本では打ち上げ花火が行われなかったという話を何かで読んだ。その後ちゃんと調べたわけではないが、おそらく本当だと思う。なぜなら、打ち上げ花火と空襲はいろいろ似ている点が多いからだ。光と音と、空気の振動と、火薬の匂いと、火薬の燃えカスと・・・・・・ そういう意味で、打ち上げ花火は、戦争のない地域の人々だけが楽しいと感じることのできる、特権的なイベントなのだ。

 

打ち上げ花火が「環境」によいのかどうか、私は知らない。けれど、打ち上げ花火を楽しめるような状況が、これからもずっと続いていくことを願う。

2010年

8月

06日

過ちは繰返しませぬから

潘基文(パンギムン)国連事務総長が、原水禁への参加のために広島に来て、平和記念式典にも参列されたそうだ。

潘基文氏の原水禁参加や式典参列の是非については、ここでは問題にしない。私が問題にしたいのは、報道だ。今回、ほとんどの日本のマスメディアは、「世界平和のために核兵器の廃絶を」という論調をとっている。美しいフレーズではあるが、私は違和感をもつのだ。

 

これがもし、「戦争をなくすために核兵器の廃絶を」というのであれば、一応、話は通る。なぜなら、「戦争」と「核兵器」との間には、明確な関係があるからだ。しかし、「平和」と「核兵器」とは、同じ次元の話ではない。「平和」と「核兵器」の関係を語る前に、まず「平和」の定義をしなければならない。「平和」の定義なく、より低次元な「核兵器」と「平和」を関係づけるのは、幼稚だ。


もちろん、核兵器はないほうがいいに決まってる(と私は思っている)。しかし、核兵器があってもなくても、「平和」にはほど遠い。「平和のために核兵器廃絶を」は、美しいフレーズではあるが、言葉が軽すぎる。

一体、「平和」とは何なのだ?
「戦争」がなければ「平和」であると言えるのか?
それは違う。

 

ためしに広辞苑を引いてみる。「やすらかにやわらぐこと」「おだやかで変わりのないこと」「戦争がなくて世が安穏であること」などとある。安穏か、これは難しい。安穏であろうとするなら、極端な格差も貧困も、虚勢も嫉妬も、絶望も煩悶も避けたい。

 

うーん、「平和」の実現は難しいぞ。

 

マスメディアの方々に一言。潘基文氏は「国連」の事務総長なんだから、記事を書く前に『永遠平和のために』くらい読んでみてほしい。いまさらカントか、じゃなくて。国連の背景を知っていれば、「世界平和のために核兵器の廃絶を」みたいな軽い台詞は言えないって話。国連事務総長来日と広島原爆投下日に絡めて美しいことを言ってみました、みたいなのは正直ウンザリです。


いつものことだけれど、報道ってホント適当だな、と思うわけです。

 

2010年

8月

01日

「学問の言葉」と「当事者の言葉」

ついさきほど、ある企業の募集要項の欄に「不可とする条件:色弱」という記載があるのを見かけました。といっても、たいして驚く話ではありません。まあなんというか、こういうのはよくあります。

 「色弱」は昔の診断名で、いまで言う「異常3色覚」の意味です。一方「色盲」は、現在は「2色覚」と呼びます。

で、この企業の面接にでも行って、「私は色盲なのでかまいませんよね?」って言ったら怒られるだろうなあ(笑

 

さて、ここから別の話。

某団体は、先天色覚異常の当事者のことを「色弱者」と総称しています。そう呼びたいという気持ちは理解できなくもないのですが、「色弱者」と総称してしまうと、上の例のようなことが起こります。これは故 深見嘉一郎 先生から厳しく言われたことなのですけれども、ひとつの言葉に複数の意味を与えてはいけないのです。

眼科学は、私たち色覚異常の人間に、多くの示唆を与えてくれます。色覚異常の当事者たちには、眼科学を勉強し、冷静に我が身を認識できるようになっておく必要があります。

他方、「当事者」の言葉に惑わされている人々に対して、ひとこと。正確に自己認識できていない「当事者」の言葉を、信用してはなりません。自己認識できていない「当事者」は、自分の体験・経験を語っているように見えても、そこに個人的な意見を付け加えています。本来、経験談と意見表明は別のものであるはずです。経験談の中に恣意的な意見を織り交ぜるというのは、アンフェアな行為です。

例えるなら「南京大虐殺は中国の捏造である」と言って憚らない旧日帝軍人と似たようなものです。

2010年

7月

29日

仮性同色表を購入?

【質問】 石原式色覚検査表 国際版38表の購入を考えていますが、買う時期によって内容が変わるのでしょうか? 私の予想では同じような気がします。(Yahoo知恵袋より)

【回答】 版によって微妙に印刷の調製が違います。もし診断に使うのであれば、最新版を購入し、紫外線や高温多湿などを避けて保管する必要があるでしょう。
あなたが医師でなく、つまり診断目的でなくて、単に個人的な資料として必要だというのであれば、話は別です。あなたが欲しいと思う版を購入すればよいで しょう。医学部のある大学なら、図書館で閲覧できることが多いですので、まず実物を見てから購入を検討されてはいかがでしょうか。

以下は別件ですが、色覚異常の疑いをもつ人が仮性同色表を暗記する目的で購入することについてはお勧めできません。嘘をつきながら生きていくのは、とても辛いものです。

 

2010年

7月

29日

色覚検査と「差別」について

【質問】 色覚異常が差別であるととの認識が広まりつつあります。色覚検査と言えば石原式でしょう! そもそもあの本で正確な色覚が判断できるのでしょう か? シンプルに信号が見えるかとか現実的な試験のほうがよいと思います。色覚異常者が就職や進学で道を絶たれることはあってはなりません。そもそもなぜ 石原式が基準なんだ?(Yahoo知恵袋より)

【回答】 これはご質問ではなく、ご意見ですね。このご質問には複数のご意見が含まれていますので、それぞれ分離させて回答させていただきます。

(1)色覚異常は差別か
色覚異常は身体の特性であって、差別ではありません。したがって、健康診断によって色覚異常を発見することも、差別ではありません。なお、色覚異常という身体特性が社会的な差別に繋がるような現象を指して、その社会現象に対して「差別である」と言うことはできるでしょう。

(2)色覚検査はどのような方法であるべきか
検査は目的にあった方法で行うべきです。色覚異常の発見が目的であるなら医学的な方法で行うべきで、仮性同色表を用いることは間違っていません。しかし、進学や就職に関しては支障の有無の発見が目的でありますから、仮性同色表の結果 "だけ" をもって判断するのは間違いであるということになるでしょう。

(3)色覚検査の標準的な方法が石原表であるのはなぜか
石原表が高精度であることが国際的にも評価されており、かつ、使用方法が簡便であるからです。

(4)石原表で正確に色覚が診断できるか
色覚異常の確定診断は、石原表だけでなく、アノマロスコープを含めた複数の検査の結果をもって総合的に判断しなければならないとされています。

(5)色覚異常者が就職や進学の際に道を絶たれることは許されないのではないか
色覚異常には先天色覚異常と後天色覚異常がありますが、いずれも個人差が大きいものです。そのすべてをひっくるめた「色覚異常者」というカテゴリーに対して制度の是非を語るのは無理があるでしょう。個人個人の能力を見極めた上で進路適性に関する制度を考察するべきだと思います。

 

2010年

7月

29日

問題:教育現場に何が起こるかを考えよ。

小学校教科書の検定前後の意匠差を見比べるため、教科書図書館に行ってきました。一応全社のものを見ましたが、D日本図書・K林館・K育出版・G校図書・M村図書出版などの教科書には大きな疑問を感じました。

私が見たところ、多面的な見地から問題が発見されました。いまそのすべてを書く余裕がないので表面的な問題だけにとどめます。

たとえば、意匠の問題があります。工夫した痕跡があるにも関わらず、意匠に失敗しているものが多く見受けられました。いや、努力の跡が残っているからこそ痛々しいと言うべきでしょうか。優れた意匠というものは、出来上がりに無理がなく、作り手の意図を感じさせないもの。洗練されたデザインというものは、どこを工夫したのかすら分からないものなのです。まあ、これについて文句を言うのはやめておきましょう。センスのない人間に言ってもどうせ分からない話ですし。

上記各社の教科書の一番大きな問題は、「カラーユニバーサルデザイン」という高圧的な「思想」の足跡が記されているということです。知識のない人々による偏向した「思想」の表明は、非常に罪深いものです。とくにD日本図書とK林館は酷いものでした。この2社は目立つように裏表紙(表4)に「認証マーク」を入れていましたが、まったく無知にも程があります。無知というより、馬鹿というべきでしょうか。

担当の編集者たちは「よいこと」をやっているつもりなのでしょうね。しかしこういった表記を見た人、とくに親は、大変に傷つくのですよ。まるで無神経すぎる。もし「よいこと」をやっているつもりがあるのでしたら、黙って、淡々とやっていただきたい。それが当事者のためです。

不気味なマークや注意書きをつけて目立たせるのは、当事者のためではないでしょう? お金のためですよね? そうじゃなければも「マークを買え」とでも脅されたのでしょうか? もちろんそういうことをやったら犯罪になるわけですけれど、最近私はあちこちから悪い噂を聞くので、非常に心配しているのです。というのも、認証活動を事業化している特定NPO法人「C機構」の「 I. K 」に恫喝されたという人から、恐ろしい実話を聞いたことがあるので・・・・・・

まあ、教科書に「認証マーク」がつけられたいきさつはともかく、「思想」を売りつける方、鵜呑みにしてしまう方、共に重大な問題があるということは言えるでしょう。お付き合いのあるベテラン編集者から、このように言われました。

   教科書に、「カラーユニバーサルデザインに配慮しています」なんて、
   絶対に書きたくない。だって「同和教育に配慮しています」って表記
   するのと似たようなものじゃないか。

まったくの同感。本気で同和問題を考えている編集者だったら、「同和教育に配慮しています」なんて軽々に表記できるはずがありません。しかし、同和問題の一部分だけをカジっただけの人なら、知ったかぶって態度表明したがることでしょう。同様に、「カラーユニバーサルデザインに配慮しています」などとという表記を派手に目立たせることや、某団体などの認証マークを貼付けてしまう行為は、「実は詳しくは知らないんですけど、私の行動はなかなか立派だと思いませんか?」というアピールでしかないのです。

って私なんかが言ったところで、この恥ずかしさは分からないんでしょうね、お馬鹿さんには。

2010年

7月

13日

クルマは「走る凶器」です。

先日、自動車運転免許の更新手続に行ってきました。前回の更新時は色名応答テストがありましたが、今回はなくなっていて、視力検査だけでした。この画像を見ていただきますと、「ただし書き」の部分は後から貼ったものであることがお分かりになるでしょう。

更新時に色覚を問わないということは、後天色覚異常を疑っていないのです。加えて、遠近や視野の検査も行いませんでしたので、要するに、中心視力以外の視機能は問わないということになります。

となると、あとは運転者自身の自覚に任せるということになるわけですが、本当にそれでよいのでしょうか。人は、自身の視機能を正確に自覚できているのでしょうか? 眼科の文献を読むと必ずしも自覚できているとは言えないようなのですが、どうお考えなんですかね、警察のみなさまは。

以下余談。

知人に、自身の先天色覚異常を悪用して商売を展開している低能な男がいます。彼は、先天色覚異常以外にも視機能のインペアメントをいくつか持っていて、それでも運転ができるなどと豪語しています。

しかし、視機能より性格の方が問題になりそうな、非常に傲慢な男です。交通環境の安全のために、彼は「適性検査」で落とされるべきだと願っております......(泣

 

2010年

7月

01日

ブログ移行作業開始

きょうより、旧ブログからの引っ越し作業を始めます。

いままではエキサイトブログを使っていました。メールでアップロードができるので、便利だったのです。何か思いついたら携帯で適当に骨組みをつくってメールで草稿を発信し、あとで時間があるときに書き直す、という流れでアップロードしていました。しかし、インタレストマッチング広告が入り始めたので、エキサイトから逃げ出すことを決めました。

 

知人のSEに意見を求めたら「Jimdo最強」というのでJimdoに決めました。Jimdoはメールでアップロードすることができないようですので、いずれTwitterと連動させることも考えています。が、Twitterはあまり好きではありません。正直、ネットの世界にまで人間関係を持ち込みたくないという感覚があるのです。当面はコメント欄を設けないことにしましたので、ご意見がございましたらメールをお寄せください。

 

なぜこんなブログをやるのかといえば、色覚異常のことを、正しく・偏らず・もれなく解説しているサイトがないからです。こういうことは、本来は [ぱすてる] のサイトでやるべきだと私は考えています。しかし、[ぱすてる] のサイトには私のような毒舌は合わないと思い、一応、公私を分けることにしました。

 

というわけで、あらためまして、どうぞよろしくお願いいたします。

2010年

1月

01日

2010年

2009年

5月

07日

加藤隆, 一神教の誕生 ユダヤ教からキリスト教へ, 2002, 講談社現代新書

第3章 神殿と律法の意義

【3−1】 南王国の滅亡とバビロン捕囚(P.76)
バビロン捕囚に至る時代経緯の解説(cf.P.77-7図)
南王国の滅亡 → ユダヤ人独立王国の喪失 → 土地・王・神殿の喪失 → 神と民の繋がりの喪失

 

【3−2】 「思い出」が神と人を繋ぐ(P.79)
バビロン捕囚 → 救いや希望に対する欲求 → 出エジプトの思い出の反芻 → 過去の出来事を基準にした現在・未来の位置付け

【3−3】 ディアスポラのユダヤ人(P.82)
ディアスポラのユダヤ人:パレスチナ以外の土地に(自発的意志によって)住むユダヤ人
アケメネス朝ペルシアによる統治 → ディアスポラのユダヤ人の発生

【3−4】 第二神殿はなぜ造られたか(P.83)
バビロン捕囚 → 神殿の喪失 → 神殿の存在の必然性・存在意義の喪失 → 神殿再建の動機は?(cf.3-10)
          ↓                ↓      ↑
          民の罪の解消手段としての神殿における活動意義の喪失

【3−5】 「聖書」の成立(P.87)
B.C.5C〜4C 律法(トーラー)成立の開始 → のち権威化 → ユダヤ教の正典(カノン)へ

【3−6】 ペルシア当局の命令で作られたユダヤ教の律法(P.89)
ペルシア当局命令によるユダヤ人の掟の明文化要請 → ユダヤ人全体を対象とする妥協的合意文書提出 →
 → 異教徒(ペルシア当局)によるユダヤ人の掟の公式化・確定化 → 掟の変更手続きの喪失 → 掟の不変の確定 →
 → 律法への服従と解釈変更の発生 → 律法の絶対的権威が維持された要因は?(cf.3-11)

【3−7】 「知恵」の展開(P.93)
バビロン捕囚・ペルシア統治・ギリシャ統治 → 文明への接触・文化的刺激の享受 →
 → 民衆レベルにおける知恵(人間の考える能力)の思索の展開(ex.箴言)

【3−8】 「神の前での自己正当化」(P.95)
知恵の展開 → 神の前における義の模索(ex.申命記改革)→ 神の前における民の態度の自己決定 →
 → 神の前における自己正当化(ex.トビト記)→ 人間の知恵が神を支配できるとする立場の発生 → 神と民の断絶

【3−9】 「神の前での自己正当化」への批判(P.99)
人間の知恵が神を支配できるとする立場の発生 → 「神の前における自己正当化」への批判
(ex.ヨブ記・コヘレトの言葉・創世記エデンの園の物語・詩編)

【3−10】 自己正当化を避けるための神殿建設(P.102)
知恵による主観的な自己正当化+罪の認識 → 神と民の断絶 → 神と民の繋がりを具体化する必要性の発生 →
 → 神殿における儀式 → 儀式の不十分な正しさの認識 → 神と民の繋がりの不十分さ → 神と民の決定的断絶を無限に回避

【3−11】 自己正当化を永遠に回避させる律法(P.105)
神の前における義の模索 → 律法の研究 → 律法の抱える難解さや矛盾との接触 → 神の前における自己正当化の回避

【3−12】 あえて理解困難なものがさらに複雑になる(P.109)
律法に見られる神の前での自己正当化回避の工夫
(1)絶対的変更不可な律法 → 律法の付加 → 律法の複雑化
(2)ヘブライ語による記述 → 一般のユダヤ人(アラム語)は理解不能 → 律法研究の困難と特殊化
(3)律法の物語を過去のものとして記述 → 律法の権威の強化(ex.申命記法)
(4)律法に意図的に矛盾を内包 → 律法の全体理解の不可能化 → 一定立場における自己正当化の排除

【3−13】 全体が正しいとされている律法(P.117)
律法を部分的に読むと不適切な内容も現れる + 部分的テクスト同士が矛盾の関係を抱える →
 → 律法に対する演繹的アプローチの排除 → 帰納的読解への誘導 → コンテクスト読解される「全体が正しい」律法
(ps.律法の正しさの認識+自己正当化の確信→律法を巡る原理主義/聖書原理主義)

 

2009-05-07 宗教文明論(加藤隆 先生)

2009年

5月

01日

連載「ケアをめぐる交話(クロストーク)」『看護学雑誌』

広井良典, 『ケア学』の新地平 広井良典のケアをめぐる交話(クロストーク), 看護学雑誌, 2004-01〜2005-01

 

【第4回】ケアと遺伝医療 高田史男

 

私は長年、先天色覚異常にまつわる問題と向き合い、市民活動を行ってきた。私がスタッフの一人として運営してきた「色覚問題研究グループぱすてる」という 市民団体では、色覚異常に関する電話相談窓口を週2回開設し、およそ20年になる。回答者は当番制で、私も担当する。まれに一日中まったく電話が鳴らない 日もあるが、平均して日に2〜3本、多い日は5〜6本ほどの相談や問い合わせを受ける。

 

先天色覚異常は遺伝法則によって引き継がれるインペアメントで、持ち込まれる相談のほとんどが遺伝にまつわる内容である。つまり電話を受けている私の立場は、この高田氏の言う「遺伝カウンセラー」なのである。ここで氏によって提供された話題は、私がいままでの経験と若干の知識によって身につけたものとほとんど同様の感覚で、まさに我が意を得たりという心境であり、まったく違和感がない。しかし私に欠落していた点がひとつあった。保険制度の問題である。


いままで私は、次のように考えていた。------ 先天色覚異常者にはいくらかの社会的制約がある。制約に出会ってから自身の身体を自覚するようでは遅いので、なるべく早く知り、対策を立てておいた方がよい。「知らされないでいる権利 (註)」を行使すると、当然、責任の負えない問題が発生する。知らないのだから本人に責任はない。だから、もし自己責任を負いながら自分の意志で生きていきたいと思うのであれば「知る権利」を行使するべきである。一方、「知らされない方がよい」という選択をするのであれば、少しは無責任でいられることになり、精神的に気楽になる部分が発生する。------ 私はここに保険の問題が絡むとまで、思いをめぐらせていなかった。


保険については早急に制度を変える必要があろうが、現実的なことを考えると、制度の再構築を待ってはいられない。あした電話をかけてくるかもしれない相談者に対して、私はどのように回答するべきか。考えているうちにあれこれ逡巡したが、やはり、一般的には「知る権利」を行使したほうがよいだろうと思い至った。そのほうが、自己責任を負える分だけ、人生における有効な選択肢が増えることになるからである。他方、「知らされないでいる」ことを「選択」すると、その後の重要な責任を放棄し、その分だけ自己決定権を失うことになってしまうかもしれない。「選択」の時点で意志が働いているのであるから、権利が縮小されてもやむを得ない(そうはいっても「知らされないでいる」ことが精神的な安定を得るために必要な選択であろうことは間違いない)。

 

なお、私が付け加えたいと思う点がひとつある。高田氏は、遺伝情報を抱え、インペアメントを抱えるであろう当事者本人に対する「知らされないでいる権利」についてのみ語っているが、その周囲の人々(親族や内縁者など)に対してはどうなのだろう。私は以前から次のように考えてきた。------(とくに養育義務を持つ)親は、子の身体・精神状態に対する「知っておく義務」があるのではないか。親が「知っておく義務」を怠ると、子が将来手に入れることのできる「選択する権利」が縮小されるのではないか。------ この考え方が正しいのかどうか自信はないのであるが、現時点ではこのように考えている。

 

この考え方を用いると、保険制度の再構築に関する糸口が掴める。一般に保険契約は個人と保険会社が二者間で結ぶものであるが、これを、複数の個人と保険会社との三者間契約を許可するよう制度を改編するのである。つまり、「知らされないでいる権利」をもつ個人と「知っておく義務」をもつ個人が連帯責任を負い、保険会社と契約する。そして、「知らされないでいる権利をもつ個人」と「知っておく義務をもつ個人」との間の、遺伝認識におけるズレについてだけは、不問に附す。そうすると保険金の受取人の問題(悪用対策)が残るが、紙面が足りないのでここで思考停止することにし、後日あらためて再考したい。


(註)高田氏の語る「知らないでいる権利」は「知」を放棄する権利を指していると思われるが、自発的/内在的な「知」まで権利放棄することはできないと私は考えるため、「知らされないでいる権利」と呼び換えた。

【第1回】ケアとトランスパーソナル心理学 諸富祥彦

 

上に書いた電話相談と関連するが、「クライエント自身の意識のありよう」と「セラピスト自身の意識のありよう」の関係について言及している部分に共感があった。当たり前だが、私の側に相談を受け入れるだけの精神的・時間的余裕がないと、カウンセリングは成立しないし、ケアにならない。いままでも、私のような素人がセラピスト/カウンセラーの真似事をしていてよいのかという自問があったが、これからも同様に悩み続けることになろう。今後深く勉強したいところである。

以上、連載のすべての回を通して、思うところがたくさんあった。規定字数では書ききれないため今回はこれで締め、別の機会にあらためたい。

 

2009-05-01 地域福祉論(広井良典 先生)

2009年

5月

01日

NHK特集『ワーキングプア 働いても働いても豊かになれない』

この映像を見て最も気にかかったのは、実際に私の目に入ってくる社会現象と随分異なっているという点である。およそ20年前に私が毎日上野公園で見ていた大勢のホームレスらを思い起こしてみると、現在のほうが明らかに少ない。というよりも、ホームレスがいない。駅にも地下道にも閉店後の店舗のシャッターの前にも。東京都の公式 WEBサイトは「都の救援施策が成功した」とまとめている。しかし、おそらくそうではない。

東京都発行『東京23区のホームレスの推移』を見ると、近年、たしかに都内のホームレス人口は減っている。しかし、同じ資料に載っていた別のデータによれば、国管理河川に棲むホームレス人口は増えている。

 

ホームレスらは、おそらく生活の知恵を得て、国が管理している土地に張り付いていれば容易に退去させられることはないということに気づいたのであろう。そしてそうなったのはなぜかと考えてみれば、都が、都の管理地からホームレスを追い出したからではないか、と想像できる。

 

私は、都が発行した一冊の資料の中の、それぞれ別の箇所に書かれていたデータを見比べただけである。都は、この程度の分析もできず、この程度の推測も立てられず、「都の救援施策が成功した」というのか。

 

それとも、データを見て、すべてわかっていて、しかし追い出したことには言及しないということなのか。

 

2009-05-01 現代社会思想(三宅芳夫 先生)

2009年

4月

30日

Anthony Giddens : The Third Way - The Renewal of Social Democracy, 1998 (第3章 要約)

Anthony Giddens : The Third Way - The Renewal of Social Democracy, 1998

アンソニー・ギデンズ, 佐和隆光訳, 第三の道 効率と公正の新たな同盟, 1999

III.  State and Civil Society

第三章 国家と市民社会(註1)

■導入: 本章の概略(P.122)
福祉制度の再構築  → 新しい混合経済体制 = 政府と市民社会の協力関係を支える経済的基盤
この章で扱うトピック(P.123の囲み)

 

■第1項: 民主主義の民主化(P.124)

国家の危機

 → 国家・政府の正統性・権威を裏付ける根拠が必要
国家危機の要因

 : グローバル市場の勃興/大規模戦争の発生可能性低下/民主化の広がり/伝統・慣習の影響力低下
民主主義の危機の由来

 : 十分に民主的でない民主主義/感受性に富む市民の出現/個人の自主性
この項で扱うトピック(P.136の囲み)

■第1項(1)中央から地方への権限委譲(P.127)
民主主義の民主化

 = 脱中央集権化(註2)→ 国家権威の再構築 → 国家の抵抗力・影響力の強化
脱中央集権化

 : 上下双方向の権限委譲

■第1項(2)公共部門の刷新(P.128)
立法の役割強化(ex.法改正)

 ← 政府の腐敗防止/透明性・開放性の確保 ← 市民による監視

■第1項(3)行政の効率化(P.130)
政府組織の非効率 → 不信 → 正統性を裏付けるものが必要 → 行政の効率化
行政の効率化 ← 目標管理・実効性ある監視・柔軟な意思決定・従業員の参加

                  ↑

             企業の行動様式を導入
                 ↓↑
市場主義の限界の認識 → 市場に対抗する役割としての政府

■第1項(4)直接民主制の導入(P.132)
政治参加の実感を伴う民主主義

 : 地域レベルでの直接民主制/電子住民投票/市民陪審員制 etc.

■第1項(5)リスクを管理する政府(P.133)
危機管理

  ↑

狭義の安全保障/経済的リスク/科学技術から生じるリスク(ex.健康/環境保全/社会福祉) etc.
  ↓
具体的選択肢の明示、科学・技術限界の明示
  ↓
専門家・政府・一般市民による制約・倫理問題の検討

■第1項(6)上下双方向の民主化(P.135)
地方分権化のメリット : 過疎都市の再活性化
地方分権化のデメリット: 自治体政府中枢部の官僚的権限の肥大化、地域格差の拡大
地方分権 ≠ 地方分裂: 上下双方向の権限委譲、上下のバランスのとれた権限委譲

■第2項: アクティブな市民社会をつくる(P.137)
旧左派:市民社会の衰退に無関心
新左派:市民社会の盛衰に関心大
この項で扱うトピック(P.138の囲み)

■第2項(1)政府と市民社会の協力関係(P.139)
協力関係

 : 政府と市民社会の相互扶助・相互監視、撤退と支援 → 高度な自己組織化能力

■第2項(2)第三セクターの活用(P.140)
小規模団体:「共通の利益を擁護するために定期的に会合する少人数の集まり」
  ↑
問題意識の共有、人生の同行、相互扶助
  意識共有キーワード: 癒し、自助、環境保護 etc.(cf.post-materialism P.44)
  参加者キーワード : 女性、中高年層<若年層、富裕層 ←→ 貧困層の不在

■第2項(3)地域主導によるコミュニティーの再生(P.143)
地域主導による地域経済振興 → コミュニティー再生 → 貧困層における市民的秩序の回復
政府の役割 : 社会事業への助成、教育事業などの許認可・監督

■第2項(4)地域の公的領域の保全(P.147)
ハード・ソフト両面における公的領域(public sphere)への配慮 → コミュニティーの発展と民主化
ハードの公的領域 = 社交の場、家族(cf.第4項)以外に日常的な人の絆をつくる場
  ex.街路、広場、公園、レストラン、カフェ etc.
健全な市民社会 → 個人保護 → 人権 VS 国家権力 → 固有の問題と緊張関係の発生
  ex.監視権限の設定(cf.第3項)、各共同体の将来像の衝突、共同体間の隔壁設定、利害対立からの個人保護

■第3項: 犯罪とコミュニティー(P.149)
公共領域における安心感の確保 ← 礼儀正しさ(註3)
× 犯罪摘発 → 警察権力の強化(註4) → 不審者一掃
○ 犯罪予防 → 警察と市民の緊密な協力 → 教育・説得・カウンセリング → モラル・品行の向上
              ↑

政府諸機関・刑事司法制度・地域の諸団体・コミュニティー組織・各種経済団体・少数民族団体などの協力関係

■第4項: 民主的家族 ー 伝統的家族の崩壊(P.154)
新自由主義の家族政策    (cf. P.155 L.7 〜 P.156 L.5)
旧式の社会民主主義の家族政策(cf. P.156 L.6 〜 L.11)
第三の道の家族政策     「家族のルールとは、民主主義である」(cf. P.164の囲み)
家族の民主化と社会の民主化を支える価値規範の近似
  形式的平等、個人の権利、自由闊達な議論、協議に基づく権威、

  相互尊重、自主性、合議に基づく意思決定、暴力からの自由
家族の価値規範の再構築 ← 自主と責任の調和、柔軟性と順応性 ← 政府による奨励策と制裁措置の整備
家族政策における最優先課題: 男女間の育児責任分担の見直し
  ex.養育と婚姻の制度的分断、父母における同等の権利と義務の再確認、男女の共同養育
社会的に統合された家族

 : 親子間における双方向の義務の再確認 → 家族の結束 → 市民的結束、社会的連帯

(註1)佐和は何故 "State" を「国家」と訳したか : EU諸国を、自治機能を備えた地方機関として捉える(cf.subsidiarity, P.128)。グローバリズムにさらされている多階層の States らは「国家」に限らない(cf.米CA州 P.134, 伯セアラ州 P144)。
(註2)"脱"中央集権化であって、"反"中央集権化や"非"中央集権化ではないことに注意。
(註3)礼儀というと日本人は伝統・慣習・宗教などを連想しやすいが、おそらく次元の違う内容を指している。
(註4)監視権限の強化と人権のバランス : 人は危険や危機を感じると過剰な管理・監視をも受け入れてしまう。そういった市民感情を悪用して弱みに付け込もうとする権力を監視・抑制する方法はあるのか?

 

2009-04-30 ゼミ輪読(倉阪秀史 先生)

2009年

4月

24日

Kenneth E. Boulding : THE ECONOMICS OF THE COMING SPACESHIP EARTH, 1966

Kenneth E. Boulding : THE ECONOMICS OF THE COMING SPACESHIP EARTH, 1966

要約その2

【9】エントロピーの概念を通してシステムの性質を考察する
  物質的システム(1)エントロピー的  : 濃縮された物質を拡散させる
  物質的システム(2)非エントロピー的 : 拡散された物質を濃縮させる
  物質的エントロピーの減少は補われる必要がある
  閉じられたシステム
    物質的エントロピーの増大も減少もないシステム
    消費に由来する出力が生産のための入力になる

 

【10】地球外からのエネルギー入力に目を向ける
  化石燃料によるエネルギー入力は残り少ない
  原子力エネルギーによって根本的な変革が得られるわけではない
  太陽エネルギーの利用による進歩の可能性
  人工有機体による太陽エネルギーの効率的変換の可能性

【11】社会システムと文化の関係性に注目する
  社会のシステムと文化には退化した例がある
  社会の発展における社会システムと文化の関係は謎だが
    ・・・文化に余裕を持たせることが重要なのではないか
  固定化されたパターン・活動からの分岐/離脱を許容する余裕

【12】カウボーイ経済とは
  従来の開かれた経済:カウボーイ経済
    消費するのはよいこと
    消費は生産を呼ぶ
    経済成長は「生産要素」による仕事量をもって測る
  未来の閉じられた経済:宇宙飛行士経済
    地球を1機の宇宙船と考える
    宇宙船の貯蔵庫は有限である

【13】宇宙飛行士経済とは
  仕事量を最小に押さえる
  経済成長の本質的な基準は自然・拡がり・質・総資本の複雑さ
    従来のように生産・消費がすべてではない
  総資本のシステムには人間の身体と精神の状態が含まれる

【14】人間の身体・精神と経済
  人間の健康/幸福/快適な生活はストックか、フローか
  経済的な幸福は衣食住の充実をも含むか
  ある程度の状態を維持できる範囲であれば消費が少ないほど暮らし向きはよい

【15】経済学者が無視してきた問題
  変動への欲求
    生産・消費・仕事量・GNP以外の基準を考える
    人間は一定の状態を維持したいと思わない
    選択肢の要求

【16】子孫に対して何をするべきか
  個人の利益(?)を保護する考え方は不合理である
  子孫への幸福/福祉を最大に
  空間的な共同体だけではなく、時間的な共同体として
  共同体の問題から個人の関係性へ

 

2009-04-24 環境経済政策論(倉阪秀史 先生)

2009年

4月

24日

研究テーマ概説

【1】これから掘り下げていきたいテーマ

 先天色覚異常に関する社会問題の分析

【2】上記のテーマを掘り下げる理由・背景。および掘り下げていきたい内容・論点。

 全国にはおよそ290万人の先天色覚異常者がいるであろうと推計されているにもかかわらず、これまで先天色覚異常に関する社会問題が大きく取り上げられる機会はあまりなかった。そのおもな理由として以下の4点が考えられる。

 

 (1)稀な例を除き、先天色覚異常には色覚以外の視機能障害がない。そのため先天色覚異常は、視機能についてのみ考えれば軽微な機能障害といえる。したがって、表示物の視認性改善など、障壁除去施策の対象として扱われる際にも注目度が低い。

 (2)先天色覚異常者の各々にとっては生まれ持った違和感のない色彩感覚であり、一生を通じて程度が悪化/改善することもないため、自身の色覚について客観的な自覚を持ちにくい。よって、実際に困難に遭遇したときでさえ、色覚異常に由来する問題であるという自覚が生じにくい。そのために困難や支障を訴える例が少ない。

 (3)先天色覚異常であっても、知識を身につけ、経験を積み、慎重さが備わると、色誤認の指摘を受けないようになる。そのため、状況・環境への適応能力の高い人物にとってはさしたる問題ではなくなる。

 (4)先天色覚異常は一般に、白黒の世界を見ているかのように誤解されてきた。進学・就職・資格取得などの際には、以前ほどではないにせよ、いまも一部で厳しい処遇を受けている。また、日本においては遺伝に潔癖さを求める傾向が強く、先天色覚異常が遺伝によって決定するという事実が、婚姻・出産などの機会において重く扱われてきた。こういった社会的な要因が複合的に影響し、先天色覚異常の話題そのものが意図的に避けられてきた。

 

 (1)の通り、日常生活において先天色覚異常者が支障をきたすような場面はほとんどない。しかし、まれに小さな困難に遭遇することもある。もしその困難を社会に現存する障壁であると捉えるなら、そういった障壁を除去するよう、広く社会に働きかけなければならない。その際、論拠として先天色覚異常者が実感した困難を提示することが必要になってくるのであるが、(2)および(3)についての個人差が大きいため、客観的・定量的な情報の獲得が難しい。そこへ、近年、「どんなに小さな障壁でさえ除去されるべきである」と考える人々が声を上げ始めた。些細な困難をも拾い集めて世に訴えようという姿勢で、社会に対して積極的な働きかけをしており、一部では福祉ビジネスとして成立しつつもある。しかし、支障・困難を客観的に評価検証するという手順を省きつつ障壁除去の運動を進めているため、論拠に乏しく、説得力を欠き、主観的な運動の様子を呈している。

 こういった状況にあって、(4)は、もっとも重要な、そして根の深い問題を示唆している。日本における先天色覚異常者のほとんどは自ら困難を訴え出ないという現実がある。色覚異常に対する認識不足や誤解が大きいため、ほとんどの先天色覚異常者は、遭遇した困難をいちいち口にしないほうが気楽でいられるという実感を持って生活している。そういった人々の感情を尊重する側面もあって、先天色覚異常者は一般に「日常の不便がない」「生活や仕事に支障がない」などと説明されてきた。

 障壁を除去しようという社会の動きと、とくに日常的な不便はないという大多数の声は、明らかに矛盾している。といって多数の声を覆し、「先天色覚異常者は日々多大な苦労をしている」と捉えてしまうと、先天色覚異常者だけでなく、先天色覚異常の遺伝的因子を持ったすべての人(全国推定580万人)を苦しめることにも繋がりかねない。障壁除去の流れは喜ばしいが、その裏付けとして先天色覚異常者の困難を強調するのは好ましいことではない。

 このようにして、いま、先天色覚異常をとりまく社会問題は大きく迷走している。迷走の原因となっている矛盾を解くには、問題を丹念に拾い上げ、ひとつひとつ検証していくしかないと思われる。その作業をもって、現代の日本社会における先天色覚異常の位置付けを明らかにしたい。

 

2009-04-24 地域福祉論(広井良典 先生)

2009年

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3月

22日

微妙な色の判別

こないだ「はなまるマーケット」を観ていたら、おいしいピーマンの選び方、っていうのをやっていました。なんでも、ヘタが6角形で全体に赤みがかったのが、甘くて美味しいんだそう。

TVに映るふたつのピーマン・・・ わからんっっっ! (放映中にブラウン管を複写したので、画像が汚くてすみません)

・・・残念。

 

 

2004年

3月

22日

医者選び

女性にも先天色覚異常のかたがいらっしゃるというのは、あまり知られていません。私はいままで5人ほどお会いしていますが、偶然に出会ったわけではなく、ぱすてるの活動を通して、お互いが先天色覚異常だという前提の場でお会いした方々です。そんなお知り合いのうち、あるひとりの女性が仰っていたお話。

数年前、全国的に有名な都内某私立大学医学部の眼科外来を、(色覚と関係のない)眼疾患で受診したとき、医師が「ついでに」といって色覚の検査もされたのだそうです。その検査前、彼女自ら先天色覚異常であることを申し出たのにも関わらず、その医師は「おかしいな、女なのになんでシキモウなんだろ?」ってな調子で、何度も何度も色覚検査をくり返したのだとか。

ご自身の色覚のことを知りたいときは、適当に眼科を選んではなりません。眼科医だからといっても、色覚に詳しい医師でなければ役に立たないのです。それと、色覚を専門にご研究されている医師の場合、ほとんどは、遺伝などの言葉にも気を使ってくださいます。受診時のこころの負担が少ないというのは、ちょっと安心できそうです。

くれぐれも、「色覚外来」を設置している眼科に行きましょう。

2004年

3月

19日

歩行者用LED信号器

交通信号器の設置基準は法律で定められていて、日本国中どこへいっても同じ信号器、かと思ったら、違うのです。設置基準は全国一律なのですが、基準の範囲内であればいろいろと融通が利きまして、都道府県ごとに特色があります。

LED信号器の試験設置は、四国(徳島・香川あたり)がもっとも早かったのではないかと言われています。たぶん、5〜6年くらい前にはもう町なかに存在していたはずです。関東では、国会議事堂の近く、祝田橋の交差点に設置されたLED信号器が、たしか4〜5年前だったかと記憶しています。交差点に設置された4つのLED信号器にそれぞれ微妙な性能の違いがあって、実験的な設置だったということがよくわかります。

警視庁(つまり東京都)が自動車用LED信号器の正式採用を決めたのが去年です。しかし、先天色覚異常者にとって必ずしも見やすいとは言えなかったため、設置に「待った」がかかりました。

歩行者用LED信号器については瞬間の判断が要求されないので、それほど問題がないと想像していたのですが、先天色覚異常ではなく、弱視・視野狭窄など、いわゆるロービジョンの方々に見辛さがあるとのことでした。

 

2004年

3月

18日

「自閉隊」

石破防衛庁長官が問題発言・・・というより、あきらかな差別発言をしました。自民党議員のパーティで「自衛隊は今まで、揶揄的に『自閉隊』と言われていた」「自閉症の子供の自閉と書いて自閉隊。分かってくれなくたっていいんだ、自分たちがやればいいんだということで、積極的にPRしてこなかったかも知れない」などと語ったのだそうです。

自閉症の方々は「分かってくれなくたっていい」という意識で生きているわけではありません。むしろ「分かってほしい」という感情のほうが強いかもしれません。こういった自閉症に対する誤解が、自閉症をとりまく方々みんなを傷つけてしまいます。詳しくご存じない方は、参考に、『あたらしい自閉症の手引き』や、映画『エイブル』など、ぜひご覧になってみてください。

ところで、「色覚異常」という言葉も、よく似たような誤用に出会います。「ものの分別のわからない人」を例えて「君のものの見かたは色盲的になっているぞ」などというような使われ方をします。エッセイや小説などでも、よく誤った使われ方をしています。慣用表現には、くれぐれも、どうぞご注意くださいね。

2004年

3月

15日

色間違いの例

先週、近所の靴屋が安売りをしていたので、犬の散歩用にと買ってきました。2000円。

いつもはだいたい夕方なのですが、きょうは少しだけ時間があったので、お昼に散歩。で、失敗に気付いたわけです!

この靴、黒だと思って購入して、いままで3〜4日、そのまま黒と思い込みながら履いていました。さて、一体なに色なのでしょう? 茶色かな? 私(2色型第1異常[註])にはよくわかんない色です。

[註] 2005年以降の診断名は1型2色覚

 

2004年

3月

14日

ドス黒い愛情?

堅い話題ばかり書いていても、書くほうも読むほうも、疲れますね。ちょっと冗談みたいな、ほんとうの話。私には、このトラバ画像にある「赤いハート」、たいして鮮やかに見えません。

私は「2色型第1色覚異常」[註]といいまして、赤系の色の彩度と明度がドーンと落っこちて見えるのです。ですので、ふつうのひとより「けっこうドス黒いアカ」に見えているわけです。

お花見は好き。ですけれど、桜の花が「ピンク」だという感覚はあんまりありません。「ほとんど白に近いグレー」に、ちょっとだけ色がついてるな、といった感じ。その、ちょっとついているだろう色が「薄い赤」だという感覚は、ほとんどありません。ちいさい頃から桜はピンクだと教わっているので、それを知っているだけです。

さて、ホワイトデイに、なにをお返ししようかな。ひと昔前は「ホワイトデイにクッキーを」というキャンペーン(?)を展開していたように記憶しているのですが、最近はそういうのがなくなってしまって、とても困ります。贈り物を選ぶのって、大変ですから。

そういえば「ホワイトデイは3倍返し」っていうのが、最近の相場だそうですね。いけませんね、そういうキャンペーンは。

 

 [註] 2005年以降の診断名では1型2色覚

 

2004年

3月

12日

ひとつの色彩を万人が同じように感じとっているのでしょうか

学校や職場の検査などでよく使われる仮性同色表(石原表・東京医大式など)を1種類だけ使って検査しただけで、色覚異常であるという確定診断を下されることはありません。もしそんなことがあったとしたら、そのお医者さんは色覚についてあまりご存知でないのでしょう(仮性同色表の詳しい説明については、また後日)。

正確に色覚異常かどうかを診断するためには、1種類の仮性同色表だけでなく、数種類のさまざまな検査をし、その結果を総合しなければなりません。そういった総合的な検査・診断ができるような「色覚外来」を設置している病院は、全国に数か所しかありません。

1種類の仮性同色表による検査をフェイルしただけのひとは、「色覚異常の疑いあり」といった内容の診断結果になるでしょう。色覚異常の「疑い」の場合、精密検査をしたら色覚異常ではなかったということもあり得ます。

で、「自分の感じている色彩が他人の感覚に等しいと言えるのか?」という素朴な疑問ですけれども、正常色覚の人同士であったとしても、同じ色彩を見ているとは言い切れません。加齢による色覚の衰退・ニコチン中毒や成人病での色覚の変化・脳の機能による色知覚の変化など、いろいろな研究報告があります。厳密に計測すると、左右の目でさえわずかな違いが発見されるひともいらっしゃいます。ですので、「自分の見ている色が他人と等しい」と断言することはできません。

ですが、歴然とした程度の差が存在するのです。正常色覚者の色覚特性のばらつき(個体差)のなかに、先天色覚異常の人の色覚特性を含めることはできないようです。

私は、自分の色覚を調べるときに脳波をとり、それを数値化したものを見たことがあるのですが、ある特定の色彩については、まるで眠っているかのように脳が閉ざされていました。同じ実験で正常者のグラフとくらべた時、あまりの違いに絶句してしまったことがあります。

ではなぜ、先天色覚異常の人にも「色がわかる」と言えるのでしょうか?

それについては、これから詳しく説明していきます。

 

2004年

3月

11日

用語について、雑感。

6日の朝日新聞朝刊「私の視点」欄に「『無職』という呼称をやめましょう」という内容の意見がありました。それに対して、きょうの朝刊「声」欄に「どうせみんないつかは無職になるんだから『無職』でいいじゃないか」という意見。ともに60代とおぼしき男性からでした。私からしたら、慣用表現ならお好きな呼び方でどうぞ、という感覚です。しかし、客観性が問われる場(たとえば学会など)では、裏付けのある言葉(職業についてであれば法律用語)を使わなければならないと思います。

色覚に関する用語についても、いろいろな議論があります。もともと医学用語として存在する「異常」「色盲」「色弱」などということばに対して違和感を抱く方々が、たくさんいらっしゃいます。負のイメージが大きいからです(各種の当事者団体のみなさんも「異常」という表現は、おおむね避けているようです)。加えて「色盲」は、「白黒の世界しか見えてないんでしょ?」という誤解を生じさせています。しかし、医学的に「色盲」と診断された方であっても色彩はおよそ把握でき、それなりに多彩に感じ取っています。ですので、先天色覚異常者の中には「盲」の字をつけるのをやめてほしい、という方がいらっしゃいます。これらの医学用語を回避するために、いろいろな新語が考案され、すでに使われはじめています。

たとえば、「色覚障害」は、おもにマスコミが用いています。もう数年前から使われているようですので、新聞やTV・ラジオなどで接した方もいらっしゃることでしょう。先天色覚異常のひとは、たしかに、色覚にインペアメントを持っています。ですので、この呼び方は間違っているわけではありません。しかし、ほとんどの先天色覚異常者はインペアメントの自覚がないまま暮らしているという実態があって、自身の色覚を「障害」と決めつけられることに対して抵抗感があるようです。また、医学的な表現としての「色覚異常」と「色覚障害」は、同義ではありません。「色覚異常」を「色覚障害」へ呼び替えようとした場合、学術用語の誤用ということになるでしょう。

ある医師によって発明されたのが「色覚特性」という表現です。「色覚異常はいわば個性のひとつであって、世界の人口と同じだけ存在する色覚の種類の中で類型化できない色覚のひとつなのだ」という考えです。なるほど、とは思います。ですがこれも、医学的な表現としての「色覚異常」と「色覚特性」が同義でないため、うまくありません。たとえば「正常色覚者の色覚特性は・・・」というような使い方もできるからです。結果、「色覚特性」は、科学的な表現を必要としないひとたちに好まれ、ごく一部のみで恣意的に使われています。

また、色覚異常の遺伝法則を説明する時によく使われる「伴性劣性遺伝」という医学用語も、やはり嫌われることがあります。どうしても「劣っている」というイメージがついてくるからです。前出のように、ほとんどの先天色覚異常者は、色覚について劣等感なく暮らしているという実態がありますので、自身の遺伝を「劣性」と表現されることにおおきな違和感を持つのです。加えて、遺伝の因子を持っている親からしてみても、自身の遺伝子を「劣性」と呼ばれることにかなりな抵抗があります。「劣勢」とも似ていますので、なおさらですね。ちなみに、先天色覚異常の遺伝について「伴性劣性遺伝」と呼ぶのは間違いで、正しくは「X連鎖性遺伝」「X染色体連鎖性遺伝」「X連鎖性劣性遺伝」などと表現するのだそうです。

 

閑話休題

 

こうして、いろいろな用語の問題に接してしまうと、もう、なにを使ったらよいのかわからなくなってしまいます。困った時は原点に帰れというわけで、私の場合、色覚については、医学用語をそのまま使うことにしています。感情的にどうも納得できないというデメリットは残ってしまうのですが、医学用語を用いたほうが誤解を生じにくいというメリットは捨てがたいものです。また、医学用語は、他国語(特に米語)との相互翻訳性について熟慮されています。ですので、客観性や普遍性を意識した場合は、医学・生理学的に正しいとされる表現を使うべきでしょう。

なお、現在、日本眼科学会が色覚関連用語の検討をしていて、近いうちに改訂されるようです。色覚に関する用語だけでなく眼科学全般で大きな改定作業をしているらしいので、そっくりまるごと日本医学会の定める用語に反映されることでしょう。私は、眼科学用語が変更されたら、このブログでの表現もそれに合わせます。そして、いまのところは現行の医学用語でまいります。どうぞご理解ください。

 

2004年

3月

09日

電話相談日誌

午前中、小学校入学直前の息子さんを持つお母さんからお電話がありました。「以前より、息子の言動が気になっていた。インターネットで調べていて、いろいろな事例に目を通すうち、息子が色弱であることを確信した。これからどうしたらよいのか」というご相談でした。

このお母さんは、息子さんのようすを注意深くご覧になっています。たとえば⋯

   学芸会で使った動物(着ぐるみ?)の舌を「ミドリ」と呼ぶ
   先生が着ていた深緑色のセーターを「グレー」と呼ぶ
   木の葉は緑色だと教えたら幹まで「ミドリ」で塗る
   大理石タイルを遊び歩きしながら「ミドリのところだけ踏む!」と言う

⋯などです。 

ふつうの人は「こんな極端な間違いを見逃す親はいないだろう」とお考えかも知れませんが、意外にも、こういったことを見落として育ててしまう親は多いのです。実際、「成人して就職の際に検査するまで自身の異常に気付かず、周囲からも指摘されなかった」という方も、かなり多くいらっしゃいます。

ですので、このご相談のお母さんは、なかなか子育てをしっかりがんばっていらっしゃる方なのだろうとお見受けします。こういう方のご家庭の場合は、精神的にはだいたい大丈夫。知ってしまったいま、すこし動揺していらっしゃるかもしれませんが、落ち着きを取り戻せば、きっと大丈夫。

ちなみに、「昨年11月の就学前検診で色覚の検査はなかった」と、おっしゃいます。そうなのです。近年は、あまり実施されていないのです。検査してイケナイわけではないのですが(この、検査関係のおはなしについては、また後日)。

閑話休題。

まずさしあたって重要なのが、小学校への対応です。まず担任の先生に事情を言って、配慮をしてもらうようお願いしておくのがいいでしょう。といいますのは、小学校低学年の場合、まだ語彙が少ないので、色の名前で指示することが多いからです。板書の色使いにも、トラブルはつきものです。

低学年ですと、教科書や教材にもたくさんの色が使われています。これも、まだ語彙が少ない、というのが理由です(中高学年になると字と図版が増え、色使いだけでなにかを指示させるような表記は減ります)。教材が配られたら、ざっと色の確認をしましょう。私の母は、磁石つきのちいさなオハジキひとつひとつに「アカ」「アオ」「ミドリ」「キイロ」と、手書きのシールを貼りました。が、そこまでやらなくてもいいんじゃないか、とも思います。子どもさんと「これはアカ!」とかやって、遊びながらでいいんじゃないでしょうか。

色がわからないからって、叱っちゃダメですよ。しょうがないんです、まだちいさいから。もうすこしおおきくなったら知恵がつきますので、気にしないで。この方の息子さんはポケモンが好きで、なのにお絵描きしても「よくわかんないから」といって色を塗らないのだそうです。子どもにとってお絵描きは楽しいもの。せっかくのチャンスですので、まず子どもさんの好きなキャラから、ちょっとずつ塗り絵しましょうよ。あわてないで、ひとつずつ、楽しみながら。

同じお母さんからもうひとつ、「息子に色弱だということを教えるのはいつがいいですか?」というご質問。これはとても難しいですね。考え方はふたつ、両極端なやりかたがあると思います。

(A)ひとつめは、子どもさんが自分で気付くまで教えない、というやりかた。色の間違いをしたときだけはちゃんと教えて、それが異常だとか遺伝だとか特定の進路はダメだとか、そういうのは一切教えないで放っておく。その方がノビノビ育つから。

(B)ちいさいうちから「あなたは色の見え方がほかのひとと違うのよ」とわからせて、すこしずつ色使いの工夫を覚えさせていく。将来の夢を具体的に語るようになったら、資格制限や職業適性などのこともすこしずつ教えていく。そのほうが失敗がすくないから。

これらの両方ともにデメリットがあります。(A)は、色間違いや人間関係の失敗が多くなり、子ども自身が恥をかき、色使いの経験不足に陥りやすくなり、進路決定が遅れる。(B)は、色に対する自信がなくなり、ときには思慮深くなり過ぎ、自分を責めてしまうこともあり得る。

どちらがいいのか? それは、家庭ごとに方法が違っていて、それでよろしいんじゃないでしょうか。

私の親がとった方針は(B)で、それが私には得だったと感じています。たしかに一時的に自信はなくなりますが、それを乗り越えてしまうと、色を扱うのがとても楽しい。自分にわからない配色に出会った時でさえ、「あれ、これ○○色なの? そりゃすごいねー!」という感じで、けっこう喜んで、ついはしゃいでしまいます。そしてその結果、いま、色を扱う仕事に就いているわけです。まぁ、私みたいなのは例外だといわれれば、たしかに、それまで。

ところで、ウチは(A)タイプだといって、親は知らん顔でいいのか?というと、私はそうは思いません。

子どもの体のことを詳しく知っておくのは、親として最低限の義務なのではないでしょうか。例えば、「予備知識なくいろいろ食べさせていたらひどいアレルギー体質になってしまった」というのと、「赤ちゃんのうちにアレルギー傾向を調べて気を使っていたから大きな問題を起こさなかった」というのと、どちらが親として優れているのか。

大人になってから自身の色覚異常を知り、「なんでウチの親は隠していたんだ!」と問いつめられてしまうと、親御さんとしては苦しいところです。色の間違いをタブーにせず、それも家族共有の話題の一部だと思って、楽しくコミュニケーションしていったらいかがでしょうか。(所要1時間)

 

2004年

3月

06日

色覚異常とは? 先天色覚異常とは?

色覚異常というのは、色を感じる仕組みが正常でないことをいいます。先天性のものと後天性のものに分かれます。先天性のもののうち、色盲と色弱(2005年以降それぞれ、2色覚・異常3色覚と改称)は、どんなふうに遺伝するのか、だいたい解明されています。

先天色覚異常者は、日本人の場合、男性およそ20人にひとり・女性およそ500人にひとりと統計されています。ですから、日本には300万人くらいの先天色覚異常者がいるだろうと考えられています。そして現在のところ、先天色覚異常の治療方法はありません。

それから、先天色覚異常の遺伝的保因者(因子を持ちながら色覚異常の形質を発現しない人のこと)は、女性のおよそ10人にひとりと概算されています。ですので、日本には650万人くらいの遺伝的保因者の方々がいらっしゃることになります。

 

先天色覚異常者とその遺伝的保因者の人口を足すと、全国で900〜1000万人くらいになるわけですが、これだけ発現頻度の高い遺伝形質なのにもかかわらず、普段、あんまり問題になりません。

 

もちろん、困ったことはありますが、意外に救いがないわけでもありません。まずそのへんのことからお話をはじめます。

 

2004年

1月

01日

2004年

2003年

1月

01日

2003年

2002年

3月

16日

色覚検査 廃止は自覚の機会を奪う, 朝日新聞, 2002-03-16

矢野喜正, 色覚検査 廃止は自覚の機会を奪う, 朝日新聞 東京 朝刊 私の視点, 2002-03-16

文部科学省が2月、学校保健法施行規則の改定案を発表した。児童の健康診断で行われている色覚検査について「日常の不便がほとんどなく、見やすい教材の採用などの方がより適切」だとして、03年度からの廃止を決めたという。

しかし、これは色弱(先天性色覚異常)に関する認識不足から生じた判断である。子どもたちが自身の色覚を知る数少ない機会を奪ってはならない。むしろもっと早期から検査を実施し、細やかな配慮をもって指導するべきである。

専門医の調査によると、色誤認の自覚があると訴えている人は、強度の色弱者で88%、軽度でも39%にのぼるという。

一般に色弱が説明される時「仕事や生活に支障がない」と書かれていることが多いが、これは色弱者を差別からかばうための修辞である。「自分だけが見えづらい」という意識を持たない色弱者は、困難に気付かず、色誤認の自覚ができないことも多い。

私自身、10歳時の学校検査で色弱を疑われたものの、不自由なく暮らしてきたつもりだった。しかし、高校で美術系を志望して色彩に気を配るようになると、日常に色情報が氾濫していることに気付きはじめ、過去の失敗の数々を反芻して蒼くなった。

美術大学を卒業して、デザイナーになってはじめて色覚外来で精密検査を受診すると、「二色型第一色覚異常」[註] と診断され、自分が強度の部類に入ることを知った。それ以降は、さらに自分の色覚特性を研究し、常に自分の見え方を疑うことによって、不利を補いながら生活している。

私は、自分と同じ境遇の人を何人も知っており、色弱者が色彩を扱う仕事に就くことはできる、と断言する。法令で禁止されている職業であっても、表示や機器などの色使いを改善すれば就労が可能だと思う。

だが、人間は誰でもいつか必ず失敗を犯す。それを未然に防ぐには、自身の色覚を詳しく知り、その特性を自覚しながら注意深く行動し、起こり得る問題を前もって予測し、隣人に助言を求めることが必須だ。色覚検査を廃止し、自身の色弱を知らされないでいると、不便は残存し、失敗は繰り返され、周囲の偏見は続いていく。

色弱者たちよ、自分の色覚について「知る権利」を放棄するな。「知らない方が幸せだった」という気持ちでは何も解決しない。おのれの身体能力の限界を知り、その立場から現実を直視し、共に不便の改善を訴えよう。

[註] 本論の掲載当時の診断名。2005年以降は「1型2色覚」が正式な診断名。

2002年

1月

01日

色覚問題研究グループ ぱすてる

【先天色覚異常の背景】

「色覚異常」とは、眼から脳に至る色覚の仕組みのどこかが正常に機能していないことを指す言葉です(つまり、生理的な構造異常という意味です)。「色覚異常」は「後天色覚異常」と「先天色覚異常」とに分かれます。これらはすべて日本医学会に定める正式な診断名で、日本学術振興会の定める正式な学術用語でもあります。近年、マスメディアなどがさまざまな言葉を用い、混乱が生じています。私たち[色覚問題研究グループぱすてる]は、安易に感覚的な言葉を用いることを避け、科学的な正しさをもった言葉だけを使うよう心掛けています。

後天色覚異常は、まず原因となる疾患があって、その一つの症状として現れる色覚異常を指します。色覚だけでなく、視力や視野などの視機能にも影響が出ます。疾患の程度によって色覚異常の程度も変化し、大抵は左右差も生じるため、色覚の障害を自覚できる場合が多いと言われています。原因疾患自体が治療対象となるため、色覚だけを取り上げて問題にすることはあまりありません。日本国内における代表的な原因疾患は、白内障(約1400万人)、緑内障(約390万人)、糖尿病網膜症(約300万人)、網膜色素変性症(約1.5万〜3万人)などが挙げられます(カッコ内は後天色覚異常を伴う原因疾患の人口推計)。

先天色覚異常は、色覚の「仕組み」が生まれつきうまくはたらいていないことを指します。2005年以前の診断名では色盲・色弱とも呼ばれていましたが、一般に 誤解が生じるとして医学用語から削除されました。日本では、男性4.50%、女性0.156%、合わせて43人にひとりの割合で遺伝的に発生し、全国に290万人程度と推定されています。

一般に、日本人は遺伝に関して潔癖さを求める気質があり、古くから、先天色覚異常の問題はタブー視される傾向にありました。婚姻・出産・育児など家庭環境 や、教育環境・労働環境などにおける不都合な待遇を避けるため、遺伝の当事者たちは、どうしても身上を隠しながら生活することが多くなっています。しかし、そのためにかえって当事者たちは孤立し、情報不足が加速し、不安を余計に募らせることとなりました。

近年、進学・就職・資格取得などの機会における制限は、以前と比べて大きく緩和されてきています。しかしながら、依然として一部の進路では、色覚以外の能力を無視した不条理な制限が残っているのも事実です。一方で、色の見分けのつきにくい人に対する何らかの制約・義務が必要な労働内容であるにも関わらず、 それを公にすると「差別」になってしまうという思い込みから、制限の存在そのものを隠蔽しようとする事態が生じてきてもいます。「差別をなくそう」という社会運動の拡がりと反比例するかのように、先天色覚異常をとりまく状況は、より複雑なものになってきているように見えます。

身の回りを見渡すと、カラーLEDの普及や、カラー印刷・カラーコピーの低価格化、インターネットの一般化などが主な要因となり、色彩による情報伝達は過剰を極めています。それに伴い、色覚異常者にとって難解な配色を用いた公共サイン・印刷物・ウェブサイトなどはますます増え続けます。それらはちょっとした工夫を施すだけで見やすくなるようなものであるにも関わらず、改善要求が軽視されたり、逆にあたかも大問題であるかのように大袈裟に誇張されたり、あるいは他のインペアメントと混同されて語られたりと、冷静かつ客観的な対応がなされていない状態にあります。

【活動の目的】

私たち[色覚問題研究グループぱすてる]は、上記のような状況を踏まえ、先天色覚異常に与えられた閉鎖的なイメージを改善していきたいと願っています。また、色覚の能力の差が、その人の人生においてのハンディキャップとならず、いきいきと生活していけるような環境を創り出すことを目指しています。そして、これらのことを、当事者たちの手で積極的に実践していけるような立場にありたいと考えています。

【沿革】

1989年11月 先天色覚異常をテーマとした一般向けの本の出版準備をきっかけとして発足。
1990年11月 出版準備に伴い、先天色覚異常に関する相談を受け付ける機関が見当たらないことを知り、せっかくなので自分たちで作ろうと、電話相談「色覚110番」を開設。
1992年3月 広く世の中に情報提供をするため、通信紙「ぱすてる」を創刊。以来、年4回発行。2010年6月までに通算74号を発行。
1993年4月 会則施行。以降、組織化された市民活動を実践。
1997年9月 インターネットホームページ「ぱすてる」を開設。情報発信と意見交換の場として運営。

【構成メンバー】

運営人8名、監事1名。色覚異常である本人とその家族たちのすべてを色覚問題の当事者と考え、色覚に興味関心のある人びとを含めて構成。その他、アドバイザーとして眼科学・光学・色彩学の研究者、カウンセラーなど多方面から協力を受ける。

通信紙ぱすてる定期購読者:個人561・団体17、その他の購読者:66名、合計:644名
定期購読者の地方別内訳:北海道22、東北34、関東274、中部65、関西120、中国20、四国9、九州34

【主な活動】

・電話相談「色覚110番」
色覚異常にまつわる疑問・悩みなどを抱えている人びとを対象に、電話で相談に応じる。それとともに情報の収集にも努める。電話番号:03-3924-4110。相談日時:火曜日10時〜16時、土曜日10時〜18時、祝祭日は休み。

・通信紙「ぱすてる」
色覚異常について関心のある人びとへ情報の発信をする。3・6・9・12月、年4回発行、総発行部数1000部。2012年度以降、購読料無料(2011年度以前は年間購読料2000円。講読申込みは「ぱすてる事務局」へメールまたはファクスで。

・ぱすてる学習会
およそ年2回、全国各地にて、先天色覚異常の当事者(本人や家族・友人など)や関心を持つ人びとを募り、情報・意見交換、親睦の場を提供する。科学的な見地に立脚することを大前提とし、かならず眼科医のレクチャーを設けるよう心掛けている。

・ホームページ運営
先天色覚異常に関する情報をインターネット上に提供し、広く啓蒙に努める。「掲示板」にて、当事者同士の自由な交流・アドバイスや意見交換の場を提供する。

・カラーモニター活動(1) フィールド調査・検証などを実施し、関係機関に色彩環境の改善案などを提案。
実施例
・大学・専門学校などの求人票から色覚の制限を調査
・学校における色覚検査に関するアンケート調査
・信号灯に関するアンケート調査
・色チョーク、蛍光チョークの見え方の実験・調査
・理科実験授業の不都合に関する調査
・学校用副教材などの色使いに関する調査    など

・カラーモニター活動(2) 公共機関・企業・団体などからの要請により、配色評価・実験協力などを行う。
実施例
・国土地理院および民間発行の地図の配色評価
・学習教材の配色評価
・電子機器のパネル・スイッチ類の配色評価
・ゲームソフトの画面表示に関する配色評価
・交通信号のLED化に伴うモニター実験協力
・治験参加
・OA機器メーカーなどの製品の配色評価     など

【連絡先】

色覚問題研究グループ ぱすてる

ぱすてる事務局 (代表:中堀敏子)

〒178-0063 東京都練馬区東大泉 7-50-29
tel & fax :03-3924-4110 (随時担当者へ転送)
gpstl (a) pastel.gr.jp ( ← 送信する際は "(a)" を "@" に変換してください)

ぱすてる編集室 (編集長・副代表:内山紀子)
〒332-0028 埼玉県川口市宮町5-41

電話相談「色覚110番」
tel:03-3924-4110
毎週火曜日10:00〜16:00,土曜日10:00〜18:00 (祝祭日は休み)

 

2002年

1月

01日

2002年

2001年

4月

01日

文部省. 1989.『色覚問題に関する指導の手引』

旧文部省から発行された、教職員向けの冊子『色覚問題に関する指導の手引』です。このリーフレットは、当時、全国の公立の小中高等学校に各2部ずつ配付されました。市川宏先生・金子隆芳先生・高柳泰世先生ほかのみなさんが関わって作成され、当時としては内容の濃い、非常によくできた指導資料となっています。

文部省 1989 色覚問題に関する指導の手引.pdf
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2001年

1月

01日

2001年

色覚異常に関するFAQサイトを目指し、きょうからスタートします。どうぞよろしくお願いいたします。