(ひとりごと)

大学の先輩と会う機会があり、先輩2人と私との3人でお茶をした。

先輩Aが、こんなことを言い出した。「ちょっと学生にユニバーサルデザインってものを教えるハメになって、すこし勉強したんだけど、あれってなんかおかしいよね」

あ、やっぱりそう思うのか。 やっぱり、やっぱりねえ。

対して、先輩Bが言う。「あのさ、俺そのユニバーサルデザインっていうのが何なのかちゃんと理解できてないんだけどさ、美しいものを作る能力のない人間は創作の世界から出て行って欲しいよね」

あぁ、それを言うのか。 同感。 まったく同感。

「ユニバーサルデザインは『デザイン』じゃない、創作行為じゃないんだよ」
「創作に自信のない奴って、誰かからの承認が欲しいんだろうな」
「あれは要するにマーケット論でしょ」
「経済成長神話の延命措置みたいなものだと思うな」
「口先できれいごと言ってるけど、結局のところヘタクソな製品の言い訳に過ぎないんだよね」
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といった会話が延々と続き、終電の時間になってしまった。

あらためて思う。 意匠制作は、専門教育(もちろん学校教育に限定されない)を受けてきた人間だけの、特殊技能。 デッサンもロクに描けない奴が首突っ込んで来て騒ぐなんてことが許される世界じゃないんだ。 どこかの誰かの知恵をちょろっと借りてきただけの、口先の「ユニバーサルデザイン論」なんか、こっちゃあ聞きたくもないね。 素人は黙ってろってなもんだ、まったく。

それにしても、正統な美術教育を受け、創作活動の難しさや苦しみを実体験として持っている人間とは、本当に話がしやすい。 といって美術エリートを気取るのもよくないが、そうは言ってもね、分かってない奴が多すぎる、実際。

そもそも分かる人にしか分からない「美」の世界を、素人にどうやって伝えるか。 そういったことが、創作を行う人間にも求められる時代になっちまったんだろう。 めんどくせえな。 しかし俺がやらなきゃ誰がやる、って感じかな、なんとなく。