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9月

19日

ぱすてる学習会のお知らせ

9月19日(日)に、都内で「ぱすてる学習会」が開かれます。詳細やお問い合わせにつきましてはこちらをご覧ください。どうぞよろしくお願いいたします。

2010年

8月

19日

言い得て妙

1コマ目
母 「異常気象やな。」
息子「そんなに異常なのかな。」

2コマ目
息子「おばあさん、どう? 昔はこんなことはなかった?」

3コマ目
祖母「ああ 昔はこんなことはなかったな。」
息子「へー やっぱり異常なんだ。」

4コマ目
祖母「昔はこの程度のことで異常異常ゆうて騒がんかったな アホちゃうかぁ」
息子「昔からこうだったの。」
母 「まぁ」

いしいひさいち「ののちゃん」(4650) 2010年8月19日 朝日新聞

 

2010年

8月

09日

貝になりたい

新聞によると、今度は楽天も英語を社内公用語をにするんだとか。

同様の改革案は、日産やユニクロなんかも先行発表してる。でもそれは、書類を英語化しようとか、非日本人が出席している会議では英語を使おうなんていう話。

楽天はちと違う。日常業務の全てにおいて、とにかく英語しか使わないんだと。

でもそれって要するにリストラ案でしょ? こんな不条理な規則に従う社員なんているのかね。どんな雇用契約してるんだ、楽天は。組合ないのか? いや、そもそも三木谷信者しか社員になれないのか。

もっとも、英語導入にメリットはある。日本語のロジックを使っていては説明できないようなことが、英語によって可能になるかもしれない。言葉が変われば、日本特有の上下関係とか団体主義なんかを解体する動機になるかもしれん。

ともあれ、人には「建前と本音」の両方が必要なんだ。社内公用語を英語にすると、その反動で、ホンネが日本語でどばっと出てくることになるんじゃないのかな。

で、この規則を逆手にとると面白いかも。噂話は日本語で。上司に文句言いたいときも日本語で。

あー、まずいな。勤務中twitterばっかやってそう (w

 

2010年

8月

07日

打ち上げ花火

私は打ち上げ花火が好きだ。きょうは地元の市民花火大会。でも行かない。忙しいのと、ここんとこ疲れてて人ごみがあまり好きでないのと。しかし、どうやら大学の研究室から見えそうだ。早く論文書かないといけないんだけど、あとでちょっとだけ見てしまうかもしれない。

きょうは江戸川区・市川市共催の花火大会も予定されてたはず。これは、打ち上げ量で言えば関東最大規模なのだそうだ。っていってもどうやって数えているのか分からない。花火の玉の数なのだろうか。報道は公式発表通りなのだろうが、多少は水増しされてても観客には分からない。ま、そんなもんなんだろうけど、税金使ってるんだからちゃんとやれよな。

 

さて、私は先天色覚異常だが、たしかに花火の色彩はあまり見分けがついてない。すごく大雑把な印象で言うと、黄色系と青系と白っていう感じ。だけど奇麗だと思うよ、本当に。

 

もっとも、打ち上げ花火の楽しさは炎色反応だけじゃない。音と、空気の振動と、火薬の匂いと、あと、時折空からパラパラって降ってくる火薬の燃えカスなんかも魅力のひとつだ。

 

アジア太平洋戦争に敗戦した後の数年間、日本では打ち上げ花火が行われなかったという話を何かで読んだ。その後ちゃんと調べたわけではないが、おそらく本当だと思う。なぜなら、打ち上げ花火と空襲はいろいろ似ている点が多いからだ。光と音と、空気の振動と、火薬の匂いと、火薬の燃えカスと・・・・・・ そういう意味で、打ち上げ花火は、戦争のない地域の人々だけが楽しいと感じることのできる、特権的なイベントなのだ。

 

打ち上げ花火が「環境」によいのかどうか、私は知らない。けれど、打ち上げ花火を楽しめるような状況が、これからもずっと続いていくことを願う。

2010年

8月

06日

過ちは繰返しませぬから

潘基文(パンギムン)国連事務総長が、原水禁への参加のために広島に来て、平和記念式典にも参列されたそうだ。

潘基文氏の原水禁参加や式典参列の是非については、ここでは問題にしない。私が問題にしたいのは、報道だ。今回、ほとんどの日本のマスメディアは、「世界平和のために核兵器の廃絶を」という論調をとっている。美しいフレーズではあるが、私は違和感をもつのだ。

 

これがもし、「戦争をなくすために核兵器の廃絶を」というのであれば、一応、話は通る。なぜなら、「戦争」と「核兵器」との間には、明確な関係があるからだ。しかし、「平和」と「核兵器」とは、同じ次元の話ではない。「平和」と「核兵器」の関係を語る前に、まず「平和」の定義をしなければならない。「平和」の定義なく、より低次元な「核兵器」と「平和」を関係づけるのは、幼稚だ。


もちろん、核兵器はないほうがいいに決まってる(と私は思っている)。しかし、核兵器があってもなくても、「平和」にはほど遠い。「平和のために核兵器廃絶を」は、美しいフレーズではあるが、言葉が軽すぎる。

一体、「平和」とは何なのだ?
「戦争」がなければ「平和」であると言えるのか?
それは違う。

 

ためしに広辞苑を引いてみる。「やすらかにやわらぐこと」「おだやかで変わりのないこと」「戦争がなくて世が安穏であること」などとある。安穏か、これは難しい。安穏であろうとするなら、極端な格差も貧困も、虚勢も嫉妬も、絶望も煩悶も避けたい。

 

うーん、「平和」の実現は難しいぞ。

 

マスメディアの方々に一言。潘基文氏は「国連」の事務総長なんだから、記事を書く前に『永遠平和のために』くらい読んでみてほしい。いまさらカントか、じゃなくて。国連の背景を知っていれば、「世界平和のために核兵器の廃絶を」みたいな軽い台詞は言えないって話。国連事務総長来日と広島原爆投下日に絡めて美しいことを言ってみました、みたいなのは正直ウンザリです。


いつものことだけれど、報道ってホント適当だな、と思うわけです。

 

2010年

7月

01日

ブログ移行作業開始

きょうより、旧ブログからの引っ越し作業を始めます。

いままではエキサイトブログを使っていました。メールでアップロードができるので、便利だったのです。何か思いついたら携帯で適当に骨組みをつくってメールで草稿を発信し、あとで時間があるときに書き直す、という流れでアップロードしていました。しかし、インタレストマッチング広告が入り始めたので、エキサイトから逃げ出すことを決めました。

 

知人のSEに意見を求めたら「Jimdo最強」というのでJimdoに決めました。Jimdoはメールでアップロードすることができないようですので、いずれTwitterと連動させることも考えています。が、Twitterはあまり好きではありません。正直、ネットの世界にまで人間関係を持ち込みたくないという感覚があるのです。当面はコメント欄を設けないことにしましたので、ご意見がございましたらメールをお寄せください。

 

なぜこんなブログをやるのかといえば、色覚異常のことを、正しく・偏らず・もれなく解説しているサイトがないからです。こういうことは、本来は [ぱすてる] のサイトでやるべきだと私は考えています。しかし、[ぱすてる] のサイトには私のような毒舌は合わないと思い、一応、公私を分けることにしました。

 

というわけで、あらためまして、どうぞよろしくお願いいたします。

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色覚異常に関するFAQサイトを目指し、きょうからスタートします。どうぞよろしくお願いいたします。